引っ越しで断捨離を頑張った私。フリマアプリで買い手を探した

どうにも昔から、ものが捨てられない。
かばんの中は、油断するとコンビニのレシートだらけになる。それらを整理しようとして並べっぱなしにするものだから、部屋の中はいつも散らかってしまう。
掃除をしても、果たしてきれいになったという実感がそもそもよくわからない。3歳の時から8回引っ越しをしているが、毎回荷造りで泣きを見ている気がする。主に親が。

捨てる才能もなければ、買い物の才能もない。一人暮らしの頃は消耗品や食材のストックを、必要以上に買ってしまっていた。必要かそうでないかを基準に買い物の計画を立てるようになったのは、つい最近のことだ。次のポイントセールの日までもつかどうかというごく単純なルールなので、なんとかやっていけている。

今回の引っ越しが一番断捨離を頑張ったと思う。昨夏に会社を辞めた時から、買い手が付きそうなものはフリマアプリで処分してきた。
割合高額で引き取ってもらえたのは、化粧品や靴、大学の授業で使用する本だ。入学当初はまだ電子書籍の存在を知らなかったので、大学生協で新潮や岩波をまとめて注文しなければならなかった。これが結構かさばるのである。先生が編纂したオリジナルの教科書に至っては、最長一年しか使わないので定価で買うのももったいないのだ。

A罫とB罫を使い分けて詩を書き写したノートたちが残った

残ったのはレジュメやノート類だ。ここ数年の思い入れが強くて、処分する勇気が持てなかった。
誰かに引き継いでもらえればよかったのだが、生憎そういう知り合いはいない。仕事の契約が終わったら、また進路の見直しのタイミングで考えようと思う。

授業用とは別に、中学生の時から残しているノートがある。中身は谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」から始まる、色々な詩を書き写したものだ。
部活の関係で詩集を図書館から借りるようになってから、気に入ったものを書くようになった。返却期限を気にせずに楽しむ方法を考えた結果、写して手元に置いておきたいと思ったということもある。

A罫三冊、B罫一冊の合計四冊を、詩の行数や一行当たりの文字数で使い分けている。大抵の大学ノートは最初の行にリーダーが付いているから、一番長い行の文字数が左右均等に入るように行頭と行末の印をつける。数え間違いや写し間違いがあってもいいように、シャーペンやよく削った鉛筆がマストだ。難しい言葉や読めない漢字は欄外に、意味や読み方を書いておく。

こうしたマイルールは、「二十億光年の孤独」の時点で決めたものではない。立原道造の「暁と夕の詩」や、寺山修司「五月の詩」など、写したいものが増えていく度に決めていった。
見た目は整っているか。声に出したときに読みやすいか。言葉の意味をその場で理解できるかなど、自分が読んでいて楽しいようにカスタムしていったものだ。
一冊だけB罫があるのは、一つのパラグラフが長いタイプの詩を写すときに追加したのである。宮沢賢治の「春と修羅」とか。

四冊のノートは物書きとしての原点。この先も捨てられない

人に見せるつもりで書いていたのではない。家族も存在は知っていたとしても、中身は恐らく見ていないだろう。身内に文学、特に詩歌の知識がある人は少ないので、見せても共感を得ることは難しい。
例外的に、父方の祖父が短歌を嗜んでいるので、帰省の折に見せたことがある。祖父は完全には理解できないが、こうして行動に移せるのは大変に立派だと私をほめてくれた。

逆に彼の歌はアララギ派の流れを組むもので、現代詩に慣れた身には難しい部分が多い。それでもぶれないものは感じ取れる。ジャンルは残念ながら違うが、言葉の森に生きる者同士のシンパシーは存在するのだと思う。

残念ながら、文学部でも嗜好の合う人には出会えなかった。外国語の履修で疲れ切ってしまったので、ストックを増やす余裕もない。それでも何のための、誰のための勉強か迷ったときには、手が伸びていた。

自分のためだけに勉強すると吹っ切れたのは、このノートのおかげだった。卒論を書き上げられたのも、四冊分の積み重ねが自信になったからである。
要するに、四冊のノートは物書きとしての私の原点の一つだ。今は書くために必要な経験を、社会人の立場で積んでいる。
一年後か二年後にはまた別のキャリアパスを検討する必要がある。その時には、またこのノートを何度だって思い出す。
自分がかつて、何に心を動かしたのか。何を求めていたかに立ち返る原点は、この先も長く捨てられないに違いない。