自分は「女」というものに縛られていると思っている。縛られているというか意識しすぎているというか。
そもそもこの価値観が植え付けられたのは、大学生の頃、お笑いサークルと落語研究部(通称:落研)で、漫才、コント、落語で、舞台に上がっていた時。
学生と言えど、お笑い好きが集まる集団だ。圧倒的に女が少ない世界であり、女だからできないこともあった。当時先輩からは女は性的なことを匂わせては笑えないと言われた。
男はいいよな、安易に下ネタに走れるから。なんで女はダメなんだ。女だから面白くないとは思われたくない、負けたくない。「女」を強く意識した私が形成された。
こんな感じなので、中学校の社会科教員を目指して受けた教員採用試験での模擬授業のテーマは、確か「M字グラフから見る女性の就労率をどう上げるか」みたいな感じだった。よくこれを試験でやろうと思ったよ、昔の私。ちなみにフェミニストというわけではないと思ってる。
◎ ◎
「女」に縛られているなと思う理由①。男性の後輩(年上であっても)にガンガン意見してしまう。
何度も書いているが、昨春、一応昇進もして、役職もついた。異動で年上の後輩を率いる立場にもなった。そういう状況もあるので、年齢関係なく、ガンガン意見するし、うるさく小言も言う。
仕事上必要な会話だけど、なんせこちらは熱量もあるから語気も強い。もし職場でいい人がいても(例:元職場の意中の彼・現:おしぴ、自分のプライベートのパートナーにはなり得ないと思われちゃうと思っている。黙って、「うん、うん」と聞いて、従ってくれる人の方が可愛いげがあるんでしょ?
「女」に縛られてるなと思う理由②。奢られると申し訳なくなっちゃう。
学生の頃のお笑いサークルや落研では、先輩が後輩に奢ることになっていた。絶対的に男性が払うという文化で育ってないため、「男性だから」で払われると自分の文化と合わない。18の時、蝶よ、花よと可愛がってくれた彼との新宿の高層ビルでのイタリアンも確か全額奢りプラスプレゼント付きだった。慣れないことづくしで、しょうしかった気がする。
今現在も別件だが、度々支払いで揉めている。高速代、ガソリン代はいらないという相手と、運転もしてもらってるんだからと気持ち多く払いたい私で、毎回攻防戦である。相手の手元にしれっと多めにいかにねじ込むかが勝負である。
「ありがとう。次は私が払うね」って素直に言えればいいだけの話なのだが、そんなこと言っても払わせてくれないし、だって奢られたら「今度遊ぼう」って言いにくいじゃん。
この間Twitterで議論になっていたけど、なんで一方的に女は奢られるものって思えるの。
◎ ◎
「女」に縛られているなと思う理由③。女の姿を見せたくないと思っている。
学生の頃にいい感じになった人に甘えたら、「あなたの理想にはついていけない」と言われて、距離を取られた。確か部屋に連れ込んで、いつもは呼んでいない呼び方をして、俗に言うイチャイチャしてという流れだったと記憶しているが、いつもとは違う裏の女の面を出すと、人は離れてしまうのだと思っている。
表イメージのご陽気で、頼り甲斐があって、サバサバしてるところが良かったんだよね?知らんけど。
「女」に縛られているなと思う理由④。若い女というだけで舐められると思っている。
職場の別部署のおじさんが、私を客前で叱ってきた。それを上長に報告したら、吊し上げだと怒られた。こっそりやる方が気分悪いと思うのに。
おじさんは言える人にしか文句を言わない。ファイタースタイルの私の部署の上長ではなく、同性の優しそうな人を選んだり、人を見て話しかけてくるのがかなり癪。
そして自分は「女」を爆裂に信用していない。
本屋でウロウロして、なんか良いエッセイがないか、探していた時のこと。かっこいいと思っている人の本でも手に取ってみると、なんか違うと思って、置いた。ほかに目的があったのは、確かだが、女が作り出すものに、自分自身が嫌悪してるのだろう。いやな発想である。いやなことに気づいてしまった。悩み事を男にばかり相談しちゃうのもこれだよな。女というものを信用してないから。まぁ、女ばかりじゃなかった。基本は人間もなのだけど。
◎ ◎
いろいろあげてきたが、女の女たる部分を享受できずにいるからこんなひねくれたことを考えるのだと思う。モテない男の考えに近いとも思っている。誰かにも、考え方が男性に近いと言われた。理詰めで説明してもらわないと納得のいかない感じ。でも、エキサイトしやすいし、喜怒哀楽は激しい方だと思っている。これが女の女たる部分か、偏見も甚だしい。女を武器にしないことを売りにしている人間に興味があるし、シンプルに憧れる。
自分自身を縛る理由があまりにも多すぎて辟易する。