私が変えるなら、いまある女性の当たり前を変えたい。

Twitterを開き、あるフォロワー(女性)さんの悩みを読んだ。
「フルタイムの仕事、家事・育児をこなして、自分のため、趣味の時間を捻出しています。しかし、夫から『その時間を家族に充ててほしい』といわれたんです。みなさんのおうち、どうしていますか?」

このツイートに対して、大半が女性からの「私もそう!」「うちもそう!」「自分の好きなことなんて欲張りかもね」というコメントだった。その逆である「私は自由に自分の時間を作っています」というコメントを私は期待を込めて探したけれど、リプ約30件から見つけることはできなかった。

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そして、自分の場合はどうか考えてみた。
私が自由な時間をつくり、好きなことをしていたらどうか?
私の場合、楽しんでいる限り家族は私を応援してくれる。そこはとてもありがたい。
家族はいわゆるリベラルである。男女の平等にも関心はある。私の仕事も趣味の時間も応援してくれる。ただ、私以外ほとんど家事をしない。

たとえば、夫は家事を任せきりだし、しかも夫がふらっと飲みに行く場合、事前の許可もいらない。強いて言えば「今日遅くなる」というLINEメッセージくらいライトな条件で、夫の場合、“自分時間獲得OK”なご身分なのだ。

一方、私が自分のために好きに使える時間は、一定の条件をクリアした時に与えられる“ご褒美”であって、いつでも獲得できるものではない。一定の条件とは、仕事と家事、育児にも影響ないのであれば、時間をつくってもいい。そんな条件である。

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この条件、誰からも文句を言われないために、自分で課している部分も否めない。
この“誰からも”という部分に関しては、身近な家族だけでなく、周囲の女性も含まれる。

男だから、女だからという性別によるアンコンシャス・バイアスによって、家事負担はおそらく私の母の時代から変わっていない。そして、この国の女性は、妻、娘、会社での役割(肩書)、母など多くの役割を同時にもちつつ、どの役割も一人でこなすべきと奮闘している。女性たちは、甘んじてこの状況を受け入れているのに、社会や周囲の影響によって様々な固定概念に縛られてしまうこともしばしばある。

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私は、この当たり前を変えたい。
「女性だから、殻の中にいて当然」と思うなんて、本来はとても不自然なこと。
そして「私たち女性ってみんな同じ殻にいて、同じように過ごしているよね?あなたもそうよね?」という同調圧力や周囲の目も、本来気にする必要はない。誰かが作り上げた高すぎる理想に縛られる必要もない。

ライフステージが変化しても、自分の好きなことをエンジョイしています!と女性が堂々といえる雰囲気を作りたい。それが、仕事であっても、子育てであっても、趣味であってもなんでもいい。自分の人生を楽しんで、自分の人生を生きていればいい。

話は、先ほどのツイートの話に戻る。
実は、リプの中に男性が一人、こんなことをつぶやいていた。
この男性は料理好きで、趣味も多彩。妻子もいる。
男性「ならば、家事を家族みんなで分担しようって言ってみたら?」
友人「そうですね!子ども4人いるし、掃除もみんなで、食事もみんなで作ればいいんですね。そうしたら頼られっぱなしでなく、時間ができるかも」

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自分自身の意識が変わったなら、きっと変化は訪れるはず。内なる意識の変化が、次第に周囲を巻き込み、家庭内に変化がおこる。互いの自立につながる。自立は自由の獲得に大きく貢献してくれる。

友人とふらっと旅行に行く。一人旅に行く。
美味しいものが食べたいから食べにいく。飲みたいときに、お酒を飲む。
読みたい本を誰にも邪魔されず、思いっきり読む。

やるなら、やりたいときにやろう。
女性に選択と自由を、そして開放を。