本当の私は「クソガキ」らしい。
毎週月曜12時の小さな習慣は占い結果を読むこと。
当たってたこともあるし、見当違いだったこともある。
そもそも占いは当たるも八卦当たらぬも八卦。
その結果で一喜一憂することは無い……訳ではなく。
「忙しくなる」と出れば月曜から気分が落ちたり、「素敵な出会いがある」と出ればウキウキしたり。
たくさんの占い師さんたちのたくさんの占い結果に見事に踊らされている。
◎ ◎
この間、2023年の占い結果が出た。
ふんふん、なるほどねー、と思いながらしっかり読んでいく。
すると画面をスクロールする指がピタッと止まった。
「実は私、クソガキでした」
おぉ。そうなのか?うん、そう……だなぁ。
すとん、と腹に落ちた。納得した。
思い当たることがありすぎた。
2022年の私はまさに「クソガキ」だったと思う。
寂しい寂しい、と連呼し、暇だ構え、とねだり、私をわかってよ、と憤慨してた。
まさに「クソガキ」「かまってちゃん」。
相当面倒くさいやつだ。
私だったらできれば関わりたくないレベル。
ちゃんと相手をしてくれた友達たちには感謝したい。
◎ ◎
でもこれは2022年に限ったことではない。
昔から、それこそ小さい頃からこの傾向はあった。
それを見せていなかっただけ。
それを隠す術を身につけただけ。
そしてそれがたまたま去年あふれただけ。
それだけのことなんだけど、それが実は結構驚くべきことだったとあの一文で気付いた。
だって今まで隠してた。
人との関わりをあんま深くしない、クールな大人キャラで通ってた。
そうしないと嫌われると思ってた。
手のかからない子。
真面目な子。
どこか冷めてる子。
大人な子。
私の印象って多分こんな感じ。
実際全部言われたことあるし、合ってると思う。
それが周りに求められてる私の「役割」だとも思う。
「役割」っていうのは生きてく上で大事なもので、人間関係とかをスムーズにしてくれる。
漫画とかドラマとかでキャラ被りが嫌われるように、リアルな社会でもキャラ被りは御法度。
「求められる役割」っていうのはきっと誰にでもある。
その「役割」が私にとってはこんな感じってだけ。それだけ。
◎ ◎
手がかかったら嫌われる。
真面目じゃなきゃ怒られる。
冷めてなかったら不思議がられる。
大人じゃなきゃ嫌がられる。
そんなふうに思ってた。
だから去年、うっかりポロッと友達に見せてしまったとき焦った。
どうやってごまかそうかと思った。
もう会ってくれないと思った。嫌われると思った。
でも何も言われなかった。何も変わらなかった。ラインの頻度も電話も何もかも。
「ごめん」と謝った。面倒くさくてごめん、弱くてごめん、と。
その子は言った。
「いいじゃん別に。逆に頼ってくれて嬉しいよ。てかシャチが面倒くさいこと言うのは元からだわ」
◎ ◎
自分が思う、「人から見えてる私」は全然合ってないのかもしれない。
全然合ってないそれに無理やり合わせても何の意味もないのかもしれない。
本当は、手がかかって、真面目じゃなくて、情に脆くて、クソガキ。
それが本当の私。私の素顔。
私は「クソガキ」なんです。
愛しき友人たちよ。
こんな私でも、これからもどうかよろしくお願いします。
相手してやってくださいな。