小学校に入学する頃、友だちが百人できたらと想像する「一年生になったら」の曲を多くの人が歌っただろう。

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私は比較的、友人の少ない方だと思って生きてきた。「友達はいますか」と聞かれたら、戸惑ってしまう。どこからが友達で、どこまでが知り合いでーー。人は何にでも線引きをするけれど、人間関係における線引きが、特にその人を物語ると思う。

今までのエッセイで語ったように、私の人間関係はあっさりしている。進学、就職といった節目で関係を保てなくなった人はたくさんいる。今現在、自信を持って「友人」と呼べる人も手で数えられる人数だ。
一緒に苦楽を共にした同期、SNSのフォロワー、友人かどうかを別にして、いつでも人間は繋がりを求める生き物だと思うし、繋がりがないと生きていけない生き物であることもわかっている。ただ、私はそれを「友人」と呼べる自信がなかった。たとえ、相手が「友人」だと言ってくれても、結局は人それぞれの「友人」の尺度でその関係は作られている、と思う。
恋愛や結婚のハードルが高い、と言われるように私にとっての友人のハードルも高いのだろうか。だとしたら、なんて贅沢なやつなんだって思うけれど。
それでも、そのハードルを越えられた友人と言うのはきっと、よく言う「かけがえのない友」というやつなんだと思う。思いたい。

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そんな私のかけがえのない友との出会いは7年前だった。専門学校へ進学し、知り合いが誰もいない教室で彼女と出会った。
正直、どんな経緯で話すようになったのか、遊ぶようになったのか、お互いに何も覚えていない。気づけばお互いの家に泊まったり、一緒にゲームをして買い物をして、食事に行くそんな関係になっていた。

学校を卒業し、就職先で配属先が発表された時、同じ部署に私と彼女の名前があった。腐れ縁だ。お互いそんなことを言ってたっけ。新卒から4年間、一緒に働いた。
目立つ喧嘩はしなかったが、目に見えて雰囲気が悪くなることもあったし、それでも、どうでもいいことをきっかけに、何もなかったかのようにまた顔を合わせて笑い合った。姉妹みたいな、家族みたいな感覚のシンクロが気持ちよかった。

そんな彼女に事件が起きたのは働き始めて3年経った頃だった。それから彼女の人間不信が始まった。誰のことも悪く言わない、かといって自分を責めすぎもしない。いつでも明るくて、月と太陽で言うなら太陽だった。そんな太陽がだんだん沈んでいく様子を見ていることしかできなかった。
結局1年後に職場を離れた。最強と言われた私たちのタッグは解散した。後を追うように、私もこの仕事を辞めた。

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仕事を辞めても、私たちの会う頻度はそんなに急降下しなかった。物理的な距離が出来てからも連絡を取り合った。直接会って遊ぶと腹の底から湧き出るような安心感があった。
そんな彼女から結婚の報告を受けた。さすがに、その気配は察していた。友人から結婚の報告を受けるなんて、この歳になれば初めてのことではない。

笑顔で祝福を口にする。その裏で、チク、チク、と細い針が刺さる感覚があった。
それを「寂しくなっちゃうんかなぁ」なんて笑いまじりに放つこともできた。けれど、幸せそうな彼女を前にその言葉を胸にたたんだ。
恋をしたことのない私には、結婚に至るまでのあれこれは共感できないけど、失恋ってこんな感じなのかなぁと思ってみたりして。その日は、そんな縁起でもないことを考えながら帰った。それでも確かに言えるのは、一番に彼女の幸せを願っているってこと。

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この日、嬉しかったことがある。それは彼女が私に、私であることを求めてくれたことだ。苦しくて辛くて、しんどいけど何かを決断しなければならない。そんな時にふらっと私の元を訪ねていたと言う。
もちろん私はそんなことを知らないから、いつも通りに他愛もない話をして笑ってそれで終わり、そんな日を過ごした。それが彼女にとって、何よりも心地よかったのだと感謝された時には面食らってしまった。

彼女にとって、そういう友人でいられてよかった。できれば、これからもそんな関係でありたいと思う。結婚して家庭を持っても、これからもずっと私の横には、あなたの席があるから。

「友達100人できるかな」そう歌っていた小学1年生の頃の私へ。
人生26年生になった私には友達が100人もいません。でも、自信を持って友達だと呼べる存在が、ほんの数人だけいます。その数人が笑うだけで、私の世界は震えます。
わっはは、わっはは、わっはっは。