私の生涯にわたる趣味は読書。特に物語を読むことである。
まだ言葉もおぼつかなかった1歳のころ。母に「いないいないばあ」の絵本を読んでもらったのが最初の記憶。
以来、母は私と弟にたくさんの絵本や物語を読みきかせてくれた。

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一人で文字を読めるようになってからも続いた、夜寝る前の読み聞かせタイム。短いお話が詰まった作品集や、時には母が自分の言葉で日本昔話や母自身の子供の頃の思い出話を語ってくれた。
母の語りから頭の中で想像が膨らみ、「今日はこれでおしまい。また明日ね」と言う母に「あともう一つ読んで!」「続きが聞きたい!」と弟と一緒になってせがんだ日々。

母に連れられ図書館にも通い、母親に読んでもらう、または自分で読む本を沢山借りていた。
本の貸出期間は2週間。返却期限が来る度に読んだ本を返しては、新たな本を貸りることを繰り返していたため、私が1年間に読む本の量は膨大だった。
私の物語を理解するスピードや能力は増していき、小学校1年生で既に3、4年生向けの物語を自分で読んでいた。学校の先生から、教科書の音読や作文を書く能力について褒められたこともある。

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小さい頃、体が弱く入院することも多かった私にとって。読書は入院中の私の心も救ってくれた。
生活範囲は病室のベッドの上。外に出かけることができない入院生活は娯楽が少ない。けれど院内文庫で本を借り、ひとたび物語の世界に入れば、心はワクワク感で満たされ、時間が経つのがあっというまだった。痛みを伴う検査や治療で泣いたり、入院生活に不安を感じてもまるで魔法のように気持ちが和らいでいった。

ただ、中学校に上がる頃になると読書が好きなことは私にとって良いことばかりではなくなった。読書好きな一方、流行りのアイドルグループや音楽にまるで興味がなかった私は、クラスメートの間で盛り上がる話題に全くついていくことができなかった。

もともと社交的な性格でもなく、いつも教室の片隅にいるような地味な私が、一番の趣味が読書だと伝えると、「やっぱり地味だね」と言って笑われたり、からかわれるのではないかと恐れて、自分の趣味について、クラスメートに伝えることもできなかった。話の合う友達のいない教室は、私にとって決して居心地の良い場所ではなかった。

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家で本ばかり読んでいる私を心配してか、私に本の楽しさを教えてくれたはずの母にまで「本ばかり読んでいないで、少しは流行りの音楽の勉強でもしたら」と言われたこともある。

クラスになじめない辛い経験や、母親の忠告を受けて同年代の間で流行っている音楽番組やバラエティー番組を見てみたこともあった。けれど、全く興味が持てず、退屈でたまらなかった。つい本を開いてしまい、テレビはすぐにただのBGMになった。やはり興味がないことは続かない。そう悟った瞬間だった。

苦い経験もしたが、読書が嫌いになったことは一度もなかった。
私が読書から離れていたのは、20歳で大きな手術を受けた後。体に麻酔が残り、頭が朦朧としていた約2週間の間のみ。われながらすごい記録であると思う。

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実は、読書好きが高じて図書館司書の資格も持っている。
病気で大学を休学中、無事退院し、体調が安定した私は仕事も学校もなく、毎日家で過ごす時間を持て余すようになった。
その時期に思いついた資格取得。どうせなら自分が一番興味のある資格を取ろうと図書館司書の資格の取れる通信教育の受講を決めた。一時は私が読書が好きすぎることを心配していた母も、資格取得に賛成し応援してくれた。

様々なテーマのレポート。それも2000字以上のものを何十枚も提出しなければならず、課題図書も膨大で一筋縄ではいかなかったが、自分の興味のある分野であるためか、それほど苦にもならず、むしろ楽しみながら学習に取り組むことができた。1年の受講期間の中で、無事にレポートや試験をクリアし、見事資格を取得することができたのだ。
スクーリングの際に年の違った仲間と読書の楽しさについて話したり、本の貸し借りをする喜びを得るという思わぬ副産物もあった。

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ただ、資格を持ちながら一度も図書館司書として働いたことはない。
新卒で採用された職場が体に負担の少ない事務の仕事で、職場環境にも恵まれたからだ。上司や同僚との人間関係も良く、お給料や福利厚生面も手厚い会社は周囲からうらやましがられるホワイト企業。辞めるのはもったいない。自分でもわかっているし夫からも言われている。

いますぐ会社を辞めて司書として働くという決断をすることは、経済的にも難しいが、「いつかは資格を生かして図書館業務にかかわりたい」その思いはずっと消えずに心の中にあることを私は自覚している。