未来とは、いつのことをさしたらいいのだろう。
今、この時点から1秒後も、明日も、5年、10年後も未来である。
今この瞬間を生きることで精一杯の私は、これまで未来のことをあまり考えてこなかった。
未来を考えるということは、現実を考えなければいけないことだと思っているからだ。
だから、今まで意識的に避けていたけれど、この絶好の機会に、少しだけ考えてみることにする。

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5年後を想像する。
5年後の私は、世間的に結婚適齢期といわれる年齢になる。
考えるだけで恐ろしい。
現在の私の周りでもちらほら結婚していたり、SNSで見知らぬ赤ちゃんが投稿されていたりする。
今まで、SNSの更新頻度は限りなく低かったのに、プロポーズされました投稿からの、結婚式挙げました、妊娠しています、子ども産まれました、子どもがもう半年なんて早い、と全てにおいて報告をしてくれるこの風習は何なのだろう。
あまり親しくしていなかった友達の子どもの成長を、写真や動画を通して見守り、もうこんなに大きくなったんだ、と感動すら覚えてしまう、この感情は何とも表現できない不思議なものである。

それと同時に、私にはこんな未来が来るのだろうか、とも考える。
結婚適齢期がすべてなんてことは全くない。
この言葉は、今すぐに排除した方がいい言葉ランキングのかなり上位にくると私は思う。
誰かがぽろりと言った、もしくは作った言葉が、正しく当たり前のものだと一人歩きし、人を苦しめることがある。
私は、そんな言葉たちのせいで、未来を想像することが怖くなっている。

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5年後の私は何をしているだろう。
今の仕事をしているかすら分からない。
隣に大切な人がいるかすら分からない。
当たり前に会える友達と変わらずに会えているかすら分からない。
5年後なんて、きっとあっという間にくる。
これまでの20何年だって、あっという間だったのだから。
だからどうか、健やかに、好きなものを続けて、大切な人たちの側で笑っていられますように。
世間の声や、周りの変化に惑わされずに自分を貫いていてほしい。

未来の私は、毎日どんなことを考えているだろう。
現在と180度、生活が変わっているかもしれない。
そうだったら、とてもおもしろい。
現在の私にとって、未来は、不安や恐れをまとめた一つの塊のように感じる。
漠然としたものだけれど、希望とは相反するもの。
ただただ恐ろしいものと思っているが、ここで少し明るい妄想をしてみる。

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もし、5年後までに大切な人に出会えて、結婚適齢期と呼ばれるその中で、実際に結婚できていたとしたら。
結婚イコール幸せなものだなんて思わないけれど、それでも「あぁ、幸せだな」と思うだろうか。
結婚もして、仕事も順調で、友達とも頻繁に会えて、家族とも仲良しで、当たり前のようだけど、当たり前じゃないそんな幸せを手に入れられていたら。
朝起きて、「おはよう」と言い合い、ご飯を作って、一緒に食べて、準備をして、「いってらっしゃい」「いってきます」を互いに伝え合う。そうして、帰ってきたら、夜ご飯を食べながら、その日あった出来事を報告し合って、同じ布団で寝る。

実際に結婚生活を送っている人からしたら、そんな陳腐な妄想はやめた方がいいと言われるだろうか。
でも、なんだか、そんな妄想をしてみたら、未来も案外悪くないなと思う。
未来の私は、毎日どんなことを考えているだろう。