学生の頃、友達と「何歳で結婚したい?」なんてよく話したりする。
理想の結婚や、どんな生活をしていたいか……。
社会人になるまでは、未来の話をする方が多かったように思う。
それなのに、いつの間にか、過去を語る方が多くなった。
ましてや、「将来」の話をしても、「未来」の話をしなくなった。
◎ ◎
子どもの頃は、なれもしない「美少女戦士になりたい!」と、声を大にして、キラキラとした眼差しで語っていた。
玩具の魔法アイテムが、私のものだけ本物で、いつか本当に変身できるはず!!
そう信じて止まなかった。
成長するにつれ、自分を知り、現実を知り。
自分が唯一無二の存在だと信じて止まない感情を、挫折する度に少しずつ置いてきてしまった。
きっとそれは、私だけではないはず。
「美少女戦士」になれないことに気づいた私は、「幸せな家庭」を夢見た。
愛する人と結婚をして、子どもは2人。
笑いが絶えないような明るい家庭。
そんな誰しもが思い描くような幸せな未来。
でも、やっぱり現実は、そう甘くもなかった。
◎ ◎
23歳で結婚。
愛する人と結婚した私は、幸せな未来を実現するはずだった。
しかし、いざ新婚生活が始まってみると、あっという間にその未来は崩れ去った。
私は知らなかった。何も。彼のことを。
夫は次第に、持病のうつ病と強迫性障害を隠し切れなくなった。
そんな夫を支える生活は、心がすり減る以外のなにものでもなかった。
私の当たり前と全く次元の違う生活。
家にいるのに何度も何度も手を洗い、買ってきた食料品包装も洗わないと冷蔵庫に入れられないし、スマホもお金も洗わないと部屋に持ち込めない。
車の後部座席は汚れゾーンで、彼の仕事関係の物以外乗せられない。
何より、強迫観念で頭がいっぱいになったときの彼は、手に負えなかった。
私の存在なんて頭から消えて、ひとりで徘徊したり、暴言吐いたり。
彼自身にしかわからないルールがたくさんあったけれど、理解できるものはひとつもなかった。
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加えて、ギャンブル依存症に多額の借金。
よく聞く、「結婚してみないとわからない」とはこのことだと思った。
そうして私は、精神がボロボロになりながら、4年間の結婚生活に幕を閉じた。
思い描いていた未来とは、全く違う現実を歩んだのだった。
こうしてひとりになった私。
未来を思い描く余裕なんてあるはずもない。
まずは、今を楽しむことだけに努めた。
仕事に打ち込んで、友達とあそんで、予定がない日はほとんどなかった。
毎日が充実していた。
それでも押し寄せる漠然とした不安。
モヤモヤとした感情。
その不安を消し去ることができないまま、過ぎ去る日々。
見ないように、考えないようにしても、不安は増していくばかり。
今は楽しめている。でも、その先は?
その問いを、何度も何度も頭から振り払った。
◎ ◎
そしてある時、気が付いた。
不安の原因は、未来を思い描けないからなのだと。
とは言え、あまり先のことを思い描くほどの活力はない。
もう、思い描いた未来に絶望したくはない。
そこで、私は紙とペンを用意した。
書き出したテーマは「2年後に死ぬとしたらやっておきたいこと」。
これは未来というよりも、将来に近いのかもしれない。
実現しやすい、現実味があることから考えてみる。
お酒や料理の勉強、旅行に行って見たことのない景色を見たいし、会いたい人も数人あたまに浮かんだ。
見たかったマンガやアニメ、映画もたくさんあるし、読みたい本もたくさんある。
書き出してみると、自分がやりたいことが思っていたより多いことに驚いた。
そして最後に書いたことは、「いつか猫を飼いたい」。
猫を家族に迎えて、一緒に暮らしたい。
これだけは、未来だと思った。
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今住んでいる部屋はペット禁止で、金銭的な余裕もない。
転職して、お金を貯めて、引っ越しもしないといけない。
学歴も普通。特段なにかできることなんてない。
ひとりで今の生活をするだけで正直ギリギリ。
そんな私にとっては、できもしない未来かもしれない。
それでも、その未来は私の活力になった。
得体の知れない不安が晴れて、目の前がキラキラと輝いて見えるようになった。
その未来に近づけるかもしれない今日も明日も、明後日も、私の希望に変わった。
未来とは、時に絶望に代わるが、時に希望ともなる。
現実に打ちのめされて、目の前が真っ暗になっても、それでも私は、未来を語れる人でありたい。