未来。未来なんて、あるのだろうか。

幼少期から両親から虐待を受け続けてきた私は、数年前のある日、決心して家を出た。それは生きたいと思ってのことではなくて、ただ苦しみから逃れるためだった。小学生の頃からずっと死にたくて、なんとなく成人する頃には生きていないはずだと思っていた。
そんな日々でも演劇を観ることだけは心の支えで、このチケットの日付までは生きていよう、を繰り返して20歳を過ぎた。

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あるきっかけで心療内科にかかり、薬を処方されてから希死念慮はなくなったが、死にたい死にたい死にたい、で頭がいっぱいだった私はそれを考えなくてよくなった時、突然出現した自分の未来というものに愕然とした。

けれどそのおかげで隠れていた苦しさや自分の環境のおかしさに気づいて、親の呪縛を解いていたら家を出ることになった、というのが正しいかもしれない。文字通り家を飛び出して、親兄弟と一切の連絡を絶ち、自分なりにその時その時の最善の選択をしてきたとは思うけれど、今は少し行き詰まっている。

心理的、身体的、教育、面前DV……。ありとあらゆる虐待を受けて疲弊した精神と身体は、一般的な社会人として生きるには難しいものになってしまった。通勤も、8時間労働も、週に5日の勤務も、残業も、すべてが私にとって難しい。どうして、みんな平気な顔で満員電車に乗って会社に行って残業をしているんだろう。

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幸いなことにパートナーと暮らしているから、今すぐ経済的に行き詰まることはないけれど、それでも最近の物価上昇や都心の家賃は私が少しでも働かないと解決できない。

そして私も、たとえ非正規でも働かないでいることに不安を覚えてしまう。けれどこんな私に条件の合う仕事や職場を見つけることはとても難しくて、今は迷路をさまよっているような気持ちでいる。私が今まで学んできたこと、取った資格、扱えるソフト、そして職歴。
あの時こうしていれば、もっと早く始めていれば、なんて思っても詮無いのだけど。

30歳になる想像はできても、その時に自分がどこにいて何をしているかはわからない。未来が出現してからも、いつだって半年後の自分は想像できないでいる。

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記憶がないほど暗かった子ども時代を思うと、子どもを産む選択はできないし、そもそも産んだところで育て上げるほどの収入も得られそうにない。だからライフプランも、キャリアも思い描けない。40歳、50歳なんて遠くて深い霧の中にあるような気がしてしまう。

雑誌にもSNSにも自分に似た人はほとんどいなくて、世の中にはキャリアのある独身か、パートナーも子どももいるか、キャリアがあって家庭もある人しかいないように見える。主婦にもバリキャリにもなれない私は、どこに向かえばいいんだろうか、と子ども乗せ自転車が行き交う道を歩きながら思う。
在宅勤務だけで稼げるほどの技術もなく、ゆるキャリすら目指せなくて、専業主婦になるほど家事が得意なわけでもなくて、私に価値はあるのだろうか。

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それでも、いつかハムスターを飼ってみたいな、とか、パートナーと海外に行ってみたいな、と思うことはあって、それを叶えたり叶えられなかったりして20代と30代を過ごすんじゃないか、と思う。パートナーと出会ってから少しは生きたいと思えるようになり、数年先は生きているんだろうと思うようになった。

演劇のチケットの抽選結果に一喜一憂して、パートナーの誕生日を祝ったり、好きな本を買ったりして、そしてその先にたぶん40代があって、50代もあるんだろう。いつもないように思えて、たまに真っ暗な時もあるけれど、あの日現れてから未来はずっと私の前にある。