「この人が今まで好きになった人の中で1番好き!こんなに人を好きになったことなんてない!」
よくこんな言葉を耳にするが、聞く度に私は疑問を抱く。
「何故あの時好きになったのか分からないダメ男の存在も、あの日流した涙の理由も、間違いなくそこに“愛”があったからではないのか?」と。

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幸せでなければ愛を感じられないのか?あの日あの時、あの人に夢中になっていた自分の気持ちは何だったのか。それを全て無かったことにして、今、目の前にある幸せにだけ焦点を合わせ、「幸せの絶頂」を作り上げるのは如何なものか、と捻くれたことを考えてしまうのだ。
なぜなら、今まで得てきた「愛の破片」が、今の私を創っているはずだから。

今まで恋した男は数知れず、とまでは言わないが、それなりに恋はしてきたと思う。
相手のタイプはさまざま。硬派なイケメンもいれば、ダメ男タイプもいた。何をもって「ダメ男」と言うのかは、とりあえずここでは置いておくとする。とにかく、そういった経験の積み重ねがあっての今なのだ。
「この人が好き」と思う瞬間は、何の前触れもなく、不意にやってくるものだ。「ジェットコースターのような恋」なんて例えもあるくらい、急に訪れては、状況の変化が絶え間なく続いても全く不思議ではない。

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ただ、私が言いたいことは、つまり「忘れてしまいたくなるような恋にも、愛は芽生えていた」ということ。恋とは自己中心的、愛とは相手を思いやる気持ち、と私の中で定義しているが、その恋が完全な愛になっていなかったとしても、相手を思いやろうとした努力自体が「愛の芽生え」になっていたに違いない。だから、その芽を摘んでしまうのは少し寂しいじゃないか、と思うのだ。

たとえどんなに憎い相手でも、疎遠になってしまった相手だとしても、恋をしていたあの時間は確かに在ったのだから。好きだからこそ、好きだったからこそ、その気持ちと時間を心の端っこに忍ばせておいてもいいのではないだろうか。
そうすれば忘れた頃に、あなたの糧となっているかもしれないし、もしかしたらならないかもしれない。それはなんとも言えないが、持っておいてもいいんじゃないかな、と。

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好きな気持ちに気づいた日、初めて一つになった日、大喧嘩をして本音をぶつけ合った日、不安に押し潰されて枕を涙で濡らした日。どれも大切で、どれかひとつでも欠けていたら、今に至らなかったかもしれない。今が良いにしろ悪いにしろ、恋を知った私たちは、昔より少しだけ強くなれたのかもしれない。

好きだから知ることができたこと、逆に知りたくなかったことだってある。それらを全部抱えて、私たちはまた新しい恋に向かっていく。振り返ってはいけない、なんてことは決してない。時々思い出のページをめくってみるのもいいかもしれない。辛くて苦しかったあの日のことを、頑張って乗り越えてきた今のあなたは、笑い話にできるかもしれないのだから。