私が通っていた高校の吹奏楽部は全国レベルで、360日練習をするような厳しさだった。
強豪ゆえにルールも厳しく、制服を着崩すなんてもってのほか、顧問の言うことは絶対、文化祭は体育館で演奏会があるから練習のために参加できない……帰宅部を頑張っていた私には良くやっていられるなという感想しかなかった。
◎ ◎
彼女はその中にいた。
スカートに隠れていても分かる細い脚、しゃんとした姿勢。
彼女は朝から晩まで練習に明け暮れていたので、いつもお疲れ顔だった。
それでも彼女には他のクラスメイトにはない凛々しさがあった。
「ショートヘアにしたら似合う」
「ポニーテールが可愛い」
彼女の容姿は私達いつめんの中で度々話題に上がっていた。
部活やめて肌や髪の手入れができれば、きっと彼女は美人なんだろうな。
音楽の授業で彼女ののびやかな歌声を聞きながら、ぼんやりとそう思ったのを覚えている。
「え?舞台!?」
高校3年の秋、私達は彼女の進路に驚いた。
その厳しさゆえに退部者が後を絶たない吹奏楽部を3年間続けていた彼女だから、勝手に音楽を続けると思っていた。
しかも舞台女優、それって演技力や容姿が整っていても運次第なんじゃないか。
生計を立てるのは難しいんじゃないか。
聞いていたいつめんのみんなが、そう思っていたと思う。
母親が公務員で特に安定志向の強かった私には考えられない進路だった。
「じゃあ今のうちにサインもらっとこうかな~」
いつめんの1人がそう言ったおかげで空気が軽くなったけど、実際にサインを書いてもらったところは見ていないし、私も卒業まで結局書いてもらうことはなかった。
芸能の道で成功する人なんてほんの一握り。
口には出さないけどそんな雰囲気が昼休みの教室に漂っていた。
◎ ◎
そんな周りの予想を彼女は軽々と裏切っていく。
専門学校を卒業後、彼女はとある劇団の研修生になる。
芸能に疎い私はまったく知らない団体名だったが、大学で演劇を学ぶ親戚が驚くほど有名な劇団らしい。
中央線沿いにある小さな劇場で、彼女は実力をつけていった。
生徒を裏切る女性教師、心を病んだ王様、平凡な大人になってしまった少女……。
出演する演劇では常に主役、もしくはセリフのたくさんある準主役。
友達だからかもしれないが、彼女には静かな役でも目を引く存在感があった。
そして研修生から無事に劇団員に昇格。
劇場を飛び出してテレビや舞台の仕事に挑戦し始めた。
某子供向け番組に出演した時は「Mちゃんがテレビに出てる!!」と馬鹿丸出しの感想を言ってしまったし、私の大好きな俳優と共演した時は根掘り葉掘り情報を聞き出した。
私の結婚式で乾杯のスピーチをお願いした時には、披露宴会場の雰囲気をたった1分ほどで盛り上げるような話術を見せてくれた。
昨年の夏に出演した舞台ではみていてゾッとするような女性を演じきっていた。
もしあの日の私に一言言えるならこう言いたい。
「今すぐサインもらっとけ!!」
◎ ◎
本当は彼女が羨ましかったのかもしれない。
どんな時も応援してくれる家庭、才能、一生懸命努力できる強さ。
彼女は私にはないものを全て持っていた。
何か資格を取って安定した職業につきたい、そう思い、内心彼女の夢を笑っていた私は今や平凡な主婦になり、生後2か月の娘の世話に追われている。
高校生の時、教室で感じていたあの凛々しさは、彼女の強さの表れだったのだろう。
きっと私と同じように彼女の夢を軽く見る人もいたと思う。
稽古中に怪我をして松葉杖をついていた時期もあった。
それでも彼女は演じ続けた。
不安定な道を選ぶも成功を収めた彼女と、安定を選んだ結果、何者にもなれなかった私。
今でも彼女は舞台を中心に活躍を続けている。