結婚、妊娠、出産。
20代後半に差しかかり、2年の間で人生の節目を一気に迎えた。社会でいう会社員でしかなかった生活から一変、妻、母という役割も担うようになった。
日々、充実している。だけど時々、私は私を見失ってしまう。

「子どものことを一番に考えなさい」。母となった娘の私に、母は口にした。
出産直前、予期せぬ疾病を発症し、危うく母子そろって三途の川を渡るところだった。自分の命は、生まれてきてくれた娘のために残されたようなもの。覚悟は決めていた。

子育ては、誰もが経験できるわけではない。限られた、貴重な時間。とはいえ、いざ始まってみると、毎日が戦争で、尊さを感じる余裕はない。
何をしていても、相手をしろと言わんばかりに子どもに泣き叫ばれる。家事は終わらないし、世間でいうワンオペ育児の最中、どこに入ったか分からない勢いでご飯をかきこみ、烏の行水で入浴を済ませる日が続く。

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“私の人生は何のためにあるのか。誰のために生きているのか”
それは突然、やってくる。
子どもの面倒をみて、家のことをして、1日が終わる。妻がやって、母がやって、当然だから。誰かが評価してくれるわけでもない。

家族がいて、普通の暮らしができて、何より、健康な体がある。私は十分すぎるくらいの幸せを手にしている。だけど「自分の時間がほしい」。一人の人として。女性として。仕事したいし、友達とお酒を飲んで騒ぎたい。時間があれば趣味に費やしたいし、おしゃれだってしたい。
母だから、我慢しないと。どんなに頭で分かっていても、欲求はなくなるどころか肥大化し、ストレスとなって蓄積された。

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母親に向いていないかも。
自分を責めていた私を救ったのは、地域の助産師さんや保育士さんだった。
「ママがご機嫌でいれば、子どもも幸せなんだよ」

子ども時代を振り返ると、母の苦しそうな表情ばかりが思い浮かんだ。
離婚後、女手一つで娘2人を育てた。どんなに仕事が忙しくても家事の手を抜かなかったし、自身が中卒で就職に苦労した経験から、子どもを何とか大学にいかせたいと必死に節約していた。お母さんが不機嫌でも仕方ない。当時の私も理解していた。

本当は、母に笑顔でいてほしかった。たまには外食やお惣菜に頼っていいから。掃除が行き届いてなくていいから。大学費用は、自分でも何とかするから。楽しい時間を一緒に過ごしたかった。

私と妹が就職してから、母は肩の荷が下りたように人生を謳歌している。元々、美意識が高かったが、化粧品やエステと自分磨きに一層投資するようになった。しばしば同僚と飲みに行き、年に数回、友達と旅行もしているようだ。

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自分を生きる母を目にして、娘は安心する。
子どもを最優先に考えてくれた母を尊敬しているし、大切に育ててくれて感謝している。でも、私がなりたい母の姿は、母ではなかった。

とある日、娘を抱っこ紐で連れ、思い切ってカフェに入った。体を揺らして娘をあやしながら、コーヒー片手に本を読む。最初は見知らぬ場所に来て落ち着かない様子だった娘も、いつの間にか眠っていた。
そういえば、母になる前の私は、時間があればこうやって過ごしていた。コーヒーもカフェの空間も読書も、大好きだった。ほんの少し、自分を取り戻せた。

これから、娘がどんなものを好きになって、どんな子に育っていくのか。想像するだけで希望に満ちあふれる。だからこそ、私は自分を諦めずに、妻、母親業を務めることができる。「お母さんって自分勝手」と言われるくらい、好きなことをする。我が子にも、自分らしく生きてほしいから。