私は、人との食事が苦手である。
約5年をかけて、職場の人と普通に食事はできるようになったくらいに苦手である。
人といるという空間がとてつもなく恐ろしく感じる。
きっかけは、高校のときの修学旅行で食べ方をクラスメイトに笑われたからだ。
そして、なんといっても自分が普段食事をするときの母の視線が恐ろしかった。

作ったケーキは失敗。母がこのキッチンの状況を見たらどう思うだろう

数日前の昼食時、仕事から帰宅した私はキッチンに立った。
ダイエットをしていたが、生きていりゃ腹は減る。
カロリーがそんなにないオートミールを使用したホットケーキを、おやつに作ろうとしていた。
だが、見事に失敗。
ホットケーキでもなく、オートミールが混ざった、ただの卵焼きになってしまった。
前に作ったときはいい感じに焼き上げ、シロップをたっぷりかけて美味しく平らげたのに今回の出来は最悪だ。
レシピを見ていなかった。
勘だけで作り上げてしまったのだった。
以前は、確かレシピサイトを見て作った。
だから、うまくできたのであろう。
作ったものを処分して使った料理器具を洗いながら、今のこのキッチンの状況を見たら母親はどんなに怒り狂うのか想像していた。
下手くそと笑うのか、なんで作れないのと怒るのだろうか。

今も頭に浮かぶ、怒り狂った母。キッチンには嫌な思い出しかない

私は、なんだかんだ親が望む通りに生きてきた。
すべて否定されるから、意思もなにも持たずに従ってきた。
1人でいるときも頭の中に浮かんでくるのは、怒り狂った母の姿。
寝ているときも声が聞こえてきてフラッシュバックし、叫びながら目を覚ましたこともあるくらい恐ろしい。
たまに変なものを作るが、母はレシピ通りに作れば料理がうまい方だとは思う。
そのたまに作ったおいしくないものを、「おいしいでしょ?」と聞いてくるので、私は感情を殺しながら頷く。
だが、母の方が帰りが遅いために父がキッチンに立っているのが印象に強く残っていた。
それで幼い頃から両親が喧嘩をしている姿を何度も見てきた。
食べ方や仕草を見て、私に口うるさく注意してくる母。
冷や汗をかきながら私は食事をする。
食べ終わったら、流しに皿をつけて自分の部屋に直行。
いつから、私がキッチンに長く滞在することがなくなったのだろう。
自分には嫌な思い出しかない場所。

不味かっただろう私が作ったオムライスを、なにも言わずに平らげた母

だが、その場所ではそんな私の母も「親」なのだと強く感じる場所であった。
母が体調を崩したとき、私は昼食にオムライスを作った(体調が悪いのにオムライス……今になっては笑い話)。
不味かったであろうに、なにも言わずにすべて平らげてくれた母。
その出来事がふと、脳裏によぎった。
人間の生活って、こんなものの積み重ねなのかもしれない。

私が両親と向かい合い、穏やかな気持ちで食事ができる日はいつになるのだろう。
一生無理なことなのかもしれないが、人生は嫌でも生きている限りこれからも続いていく。
私は、親から離れて独り立ちするべきだと思う。
一度離れてみないと、ありがたみがわからないとよく話を聞く。
私たちの「家族」としての距離は近すぎるのだ。
ゆっくりでも、今の状況を変えていけたらいいと思う。