友達が結婚した。この1年で7人目だ。同棲を始めた友人はこの1年で5人。早い。早すぎる。

人生をマラソンに例えるのは癪だが、いつの間にかマラソンのコースから私は外れていたようだ。マジか。信じたくはない。いや、自分の人生を他人と比べるのはよそう。

けど、次第に脇道に逸れている気はする。知らないうちに脱輪していたのかもしれない。……マラソンなんだか自動車なんだかハッキリしてほしいところだ。

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小さい頃、私は歴史学者になりたくて、コピーライターになりたくて、アナウンサーになりたくて、機関士になりたかった。今の私は、マーケッターをしていて、そこから気づいたら編集者になっていた。なんでだ。私の夢はどこに行った?まあいい。実は編集者にもなりたかったから、夢が叶ってしまった。

未来の私と言われて想像していたのは、二十代半ばで自分のやりたいことをバリバリやる自分だった。きっと最強のキャリアウーマンになっているのだろうと夢想したことは何度もあるし、今はそれに近い。仕事に毎日精を出しているし、それが楽しい。うん、良かった。めでたし!

……めでたしめでたし? 嘘だ。過去の私にとって今の私が「未来の私」なら、今の私が思う「未来の私」はどんな姿なのだろうか。

……悲しいかな、何も思い浮かばない。目標を達成したから、燃え尽き症候群にでもなっているのか。そうかもしれない。

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結婚した友人は、「将来は子どもが二人欲しくて、それか大きなワンちゃんを飼いたい」と言っていた。別の友人は、「いつか夫婦二人でカフェを開きたいな」と言っていた。そして二人とも、「いつかすだれも結婚するときが来るのかなぁ!」と笑顔で言っていた。

冗談じゃない!自分の性別も好きなタイプも何も分からず、他人に抱く恋も愛も分からない私が、結婚?

結婚が一つのゴールなのであれば、私はスタートすらできていないのか。それがマラソンコースなら、私はスタート地点に立つどころか歩き方すら知らない赤子以下だ。

同僚と喋る中で、「将来何したいとかないの?」と聞かれ、「今の自分のことしか考えられない」と返せば、「それは幸せだね」と、皮肉のように、憐れみの目を向けられた。

なんでそんな顔をされなくてはいけないのか?と思ったが、何か返すだけ無駄だと諦めた。きっと私は、違う生物なのだ。周りとは。

今の自分に満足して何が悪い。私は常に最高だ。私の人生は常に、今がピークなのだ。刹那的で何が悪い。そう言い返さない私はどうかと思うが。

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私の人生はマラソンではなく、アルバムにも入れず床に散らばっている写真のようだ。見返すときがあれば楽しいが、時系列に並べるほど暇じゃないし、偶然目に留まればラッキーなだけ。写真の私は他人だし、私は他人事のように「楽しそうだな」とか「大変そうだな」と思うだけである。写真に過去はあるが未来はない。今が思い出を作るだけで、その時々が過去にとっての未来なだけだ。

未来の私が浮かばない私は不幸だと思うが、実はそんなことないし、別に不幸とも思っていない。私は私に酔っているだけなのかもしれない。だけど、今の私は幸せだからいいか。だから、未来の私も、幸せだといいな、と他人事のように思う。
まあ、未来の私は、所詮他人だ。