未来の私に願うことがある。
生涯、読書はやめないでいてほしい。

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子どもの頃から、私は色々な趣味を持ち、同時に様々な習い事を習わせてもらった。
絵を描くことは物心ついた頃から日常の一部だったが、中学生になった頃から自然と何も描かなくなり、吹奏楽部での活動に打ち込んでいた。

しかし、習い事のクラシックバレエを続けるために、高校では吹部に入ることを諦めてしまった。そして大学生になったらなったで、アルバイトや課外活動に追われて自然消滅のような形でバレエをやめてしまった。ちなみに大学でハマったのは美術鑑賞とフランス語だ(この二つは今でも継続中)。

ここまで読んでくださった方は、「いやお前どんだけ飽き性なんだよ!?」と突っ込みたくもなるだろう。私自身もここまで書いて、「いや自分、まじで今までの人生何一つとして長続きしてないな!?」と白目をひん剥いているのだから。
でも、そんな私にも子どもの頃からずうっと続いている趣味がたった一つだけある。
それが、冒頭で述べた「読書」なのだ。

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図書館に行くことは、私にとって昔から変わらない、生活の一部だ。お気に入りのシリーズや、推している小説家のコーナーにわくわくどきどき足を踏み入れ、運良く新刊や未読の一冊を見つけた時は胸が高鳴る。借りた本はあっという間に読み終え、それらを返しに行く時にまた新たな本を借りる。

スマホを持つようになってからは、SNSで流行りの漫画や誰かの「推し」の小説を探しては、片っ端から「読みたいリスト」に書き連ねるようになった。同じ本を読んだ人の感想を読んでは、「うーん、ここは少し解釈違い!」「共感でしかない!」と一人で百面相をしている。

大学生になってからふと思い立ち、子どもの頃に読んでいた児童書を読み直すようになった。本によっては、何と10年ぶりに読み直すという作品もある。優れた作品というものは、多少時間が経ってもその魅力を失わないものなのだと感じさせられた。

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「この作家さんの言い回し、相変わらずキレッキレで面白いな!」と、ツボに入ることもある。「昔読んだときは特に気にしてなかったけど、この登場人物の人生は壮絶すぎるな……」と考えさせられることもある。特に、戦争孤児や複雑な家庭で苦労しながら育った子どもが出てくる話だったりすると、「この子たちが少しでも生きやすい社会になってほしいよな……!」とか思って涙腺が緩んでくるあたり、自分の老いを実感する。

老いといえば、以前読んだ時は自分よりも遥かに「お兄さん、お姉さん」だった登場人物が久しぶりに読んだら年下になっていて、「え……?まじ?」と宇宙猫面したことも一度や二度ではない。

また、幼い頃は「この人、主人公に対して冷たい!意地悪!嫌い!」と思っていた登場人物への見方が、「この人なりに現実を見ながら、主人公のことを大切にしてるんだよね」という風に変化したり……。それは、その小説を初めて読んだ10年前から今に至るまで、私自身が生きていく中で色々な人と出会って、色々な経験をして、成長をしたからこそ生じる面白い変化だと捉えている。
このように、「ずっと昔に読んだきりの小説を再び読み返す」というタイプの読書には沢山の学びがあって、本当に面白い。

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私は今22歳だ。あと10年したら32歳になる。もしかしたら転職して、新卒の時とは違うところにいるかもしれない。結婚や出産を経験している可能性もゼロではない。
10年後の未来を生きるその私に、もし覚えていればで良いから、今の22歳の私が読んでいる本を10年ぶりに読んでみてほしい。
きっと、12歳の時に読んだきりの小説を10年ぶりに読み直した、22歳の今の私のように、色んな発見が、学びがあるだろう。その一つ一つを、大切にしてほしい。

たぶん読書って、最後のページまで読み終わって「はい、おしまい」と本を閉じたその瞬間が終わりではないと思うのだ。その本を読み終わっても、私の、あなたの、全ての読み手の人生は続いていく。

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で、私みたいにある日ふと思い立って、昔読んだ本を久しぶりに読み直した時に、前述のように色々な発見をする。

その中には、以前その本を読んだ時から今に至るまで、読み手自身が送ってきた人生に基づくならではのものもあるだろう。その学びを胸に本を閉じたさらにその後も、人生は続いていく。3回目にその本を読むことがあったら、きっともっと面白い学びの機会になるだろう。

だからこそ、未来への自分には。
本を読み続けてほしい。新しい作品をざくざくと開拓していくような読書もいいけれど、たまには昔読んだきりの作品も読み直してほしい。
そんな姿を、未来の自分に願っている22歳の私である。