中学生になったあたりから、「天然だね」と言われるようになった。
その言葉は抜けていて、いじられやすい人によくかけられる言葉だと思う。
例外なく私もそういうタイプで、クラスのいじられキャラだった。
自分で笑ってくれる人が居るし、敵を作らない、むしろ好かれる方なのでおいしいポジションだなあと思っていた。

◎          ◎

少しは傷付くこともあったけど、それでも「天然」と言われることは強みだと思っていた。
高校生になっても、いじられることは多かった。要領の悪さが露呈した時には「なんか残念だよね」と友達に笑ってもらって、やはりそういうキャラクターで居ることが楽しかったし満足していた。

でも、高校生の頃、付き合っていた彼氏に言われたことがある。
「◯◯は、何にも出来ないんだから何もしなくて良いよ!」と。
元彼からしたら、「その分俺が全部やってあげるからね」という男気の発言だったのだろう。

でも、その時の私は酷く傷付いた。
「あ、私、何も出来ないと思われてたんだ」

◎          ◎

確かに、笑われるような失敗は多いし、いじられキャラ慣れっことしては失敗したことを隠さなかった。
でも、きっと全てが失敗していたわけじゃない。人間関係も自分で培って来たし、学校の課題なんかもしっかり取り組んできた。決して落ちこぼれではなかったはずだ。
でも、何も出来ないと思われてたんだ。

大学時代、今度は逆にどちらかというとしっかりしているように見られていた。
人見知りで、心を開くまではスンとしてしまうこともあって。
しっかりしていると思われることは辛かった。だって抜けてるし。間違えるし。

はじめに「しっかりしてる人」と思われていたら、「実はしっかりしてない人」と気付かれた時の落差は大きい。神童が、学年が上がるにつれどんどん同級生に抜かされていって「お前大したことなかったなー」と言われる感覚。まあ神童なんかのレベルじゃ勿論無いですけど。
つまり、しっかりしていると思われているのに、本当は出来ない自分がバレるのが怖かった。

◎          ◎

ここまで書いていて、自分面倒くさいなと思いました。「出来ない奴」と思われても癪だし、「出来る人」とも現実との落差があるから思われたくない。

「天然」というフワッとカテゴライズされた個性として認められる言葉で当てはめられることが、一番心地良かったんだな。プライドの高さと自信の無さが窺えます。

さて、そして社会人。抜けている所を自分で自虐しては「誰でも失敗するよ〜!」と言われ、だけど「誰でも失敗する」の域を超えた毎日の失敗、間違いの連続。

環境が合わないのか、自分で嫌になる程に失敗が続く。高校時代に言われた「何も出来ない」が、実際にそうなんじゃないかと思ってしまう日々。高校時代は「出来ることあるし」と思えたのに、今同じことを言われたら「やっぱり……そうですよね、すみません」と言ってしまうでしょう。もう「天然」なんかの可愛い言葉では済まされない。失敗をいじって笑って下さい!なんて言えなくなるほどの謝罪と萎縮の日々。

◎          ◎

社会は「天然」には向いていません。「出来ない奴」に成り下がります。

あなたの周りの学生時代に「天然」と言われていたあの子は、今どうしていますか?
社会に出て立派に働けていますか?
生き生きと、自信をもって生きていますか?

もし、そうやって生きていけているのであれば、その人は私の希望です。