長いこと、「将来役立ちそうなこと」を大切にして生きてきました。
「今はまだやりたいことがないからとりあえず」という言葉が頭の中にいつも浮かんでいました。
今はまだやりたいことがないから、専門学校ではなく、とりあえず大学に行こう。
今はまだやりたいことがないから、就活であまり業界を絞らず会社を受けてみよう。
それまでいくつも「やりたいこと」「やってみたいこと」はありましたが、「将来役に立つか分からない」という理由で一つ一つ潰してきました。
いつか私の「やりたいこと」より「将来役立ちそうなことを選ぶ」という小さな選択の一つ一つが、私の可能性を広げて、将来本当にやりたいことに出会えた時に支えてくれますように、と漠然と願っていました。

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大人になった今、強く思うことは、「今」というのは日々の小さな積み重ねの上にあるもの、ということです。
したがって、今までしなかったことを「いつか出来るだろう」と期待していようが、期待するだけでは何も起こらないわけです。
いくら夢を語って、夢を見続けようとも、その先に実現はありません。
行動した先にのみ、実現がある、と思います。
したがって、私は今まで自分のやりたいことを犠牲にして、「なんとなく、将来役立ちそうなこと」ばかり選択してきたので、大人になっても「本当にやりたいこと」の選び方がわからなくなってしまった、という状態です。
でも、大人になって直面した社会は、想像以上に厳しくて、真面目に生きるというのはしんどくて、今までのように「いつかやりたいことを見つけられたらいいな」では人生があっという間に、しんどいままで終わってしまう、と気が付き始めました。

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幼い頃、「本当にやりたいこと」という言葉は、時折私を傷つけました。
例えば「将来絵描きになりたい」と言ったら「本当にそれがやりたいの?」としょっちゅう確認されました。
「いいね、やってごらん」とはあまり言われなかったんじゃないかなと。
だから、いつの間にか自分自身も、自分のやりたいことを、「本当にやりたい」のか否かでジャッジする癖がついてしまったように思います。
大人になった今、私に「いいじゃん」「それやってみなよ」と言ってあげられるのは私だけです。
自分を見直したい、と思えた今だからこそ、「やりたいように好き勝手やっちゃえ!」と自分に対して言ってあげたいと思えるのは、そのような過去があったからです。
そうして、私はずっとやりたかったことに取り組むことが出来ています。
好きなように夢を見て、好きなように創作して、その活動を通して友達も沢山出来ました。

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色々な考え方がありますが、人生というのは自分のためのものだ、と思っています。
自分のやりたいことをやるために、人生というものは存在していてほしい。
そう思ったら、今まで私の「やってみたい」気持ちを「本当に?」と制してきた大人たちや、自分の言葉は、いかに真に受けなくても良かったことなのか分かります。
でも、そうやって色んな人の意見に翻弄されながら、自分のやりたいことまで無視して苦しんだ人生の日々があったからこそ、今、自分のやりたいことを優先出来ているこのライフスタイルを作り上げてくれた自分自身に、感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、立ち止まったり、色んな人の言葉に翻弄されながら思い悩む日はあるでしょうが、この歩みを楽しんでいければいいな、と思います。
一番の応援者は私であることを忘れずに。
一番の味方は私であることを忘れずに。