人間関係というものは難しい。信頼を積み重ねるのは時間がかかるのに、失望するのは一瞬。たった一つの出来事が、大きな影響を及ぼしてしまう。
今日は、私が尊敬していた人に対する印象が、そうやって変わってしまった話をしようと思う。
文武両道で、おまけに美人な彼女は「尊敬すべき人」だった
私の周りには、凄い人が沢山いる。楽器ができる人、頭がいい人、何かに打ち込んでいる人……。彼らはただ何かができるだけではなく、結果も出している。そして、特筆すべきものがない私は彼らを尊敬し、羨ましく思っていた。
彼女も、そんな尊敬すべき人の一人だった。高校の同級生で、勉強はもちろん、音楽や運動もよくできて、よく表彰されている。学年で知らない人はいないという有名人で、人気者。更に美人。頭がいい人と言われれば、必ず彼女の名が出てきた。家もお金持ちだと聞いたことがあるが、それを鼻に掛けることもない。子ども心にも「できた人もいるもんだな」と思っていた。
あるとき、同じ授業を取っていた私は、彼女とペアを組んで、とある大会にでることになった。私の通っていた高校では、何年か前からその大会に毎年出場しており、その授業を選択していた生徒が、学校代表になるのが恒例となっていたためである。先生たちにも助けれながら、私たちは運良く書類選考を勝ち抜き、全国大会に駒を進めた。
いかに他人を巻き込んで、成果物を作り上げるかが問われる大会で、初心者ながら彼女は、全国の有名高校の日々その競技に打ち込んでいた人々と互角に戦っていた。足りない経験は知識で補い、積極的に意見を交わす。そんな姿が幾度となく見られた。
私は一応経験者だったが、彼女の足を引っ張る存在でしかなく、初日戦いが終わった後、ホテルで自己嫌悪に陥っていた。そんな私に彼女は色々思う所はあっただろうに、「気分転換にさ、ご飯でも食べに行こうよ」と、明るく声を掛けてくれた。「できた人はどこまでもできた人だな。この人に欠点はあるんだろうか」と思いながら、地元でもよく見るチェーン店に入った。
彼女とご飯を食べに行き「ちゅぱっ、ちゅぱっ」と響く音の正体は?
正面に座り、メニューを見る彼女の顔を伺いながら、私はパスタを注文した。「いただきます」と、ほぼ同時に来た夕飯を前に、手を合わせ、フォークを持つ。私はミートソーススパゲッティ、彼女は定食を頼んでいた。
「ちゅぱっ、ちゅぱっ」しばしの無音の後、店内にその音は響いた。湿り気のある、リップ音に近い何か。しかし、数回音が聞こえただけだったので、私は構わずフォークを動かした。
「ちゅぱんっ、ちゅっ……」また音が響く。今度はなかなか止まらない。数回ならまだしも、かなりうるさく、不快だ。音の発生源を特定しようと視線だけ動かし、ある一点で止まった。
目の前に座った彼女だ。彼女が咀嚼する度、彼女の赤く整った口の端から、噛み切れなかった何かが飛び出し、聞くに堪えない音が漏れる。「ちゃぴちゃぴ、ずるっ……」。
それはおぞましく、逃げ出したくなるような光景だった。彼女が綺麗な顔だったから、余計にそうだったのかもしれない。唖然としながらも、私は残りの数口をなんとか口に押し込み、視線を店内に固定し、僅かに聞こえてくるBGMに耳を傾けた。早くこの地獄の様な時間が終わってほしいと思いながら。
どんな人にも欠点がある。そして、誰かへの評価は「一瞬で」変化する
残る一日の食事はなるべく彼女を視界に入れないようにし、全国大会は終わった。何も賞を取ることはできなかったが、二日目は初日に比べると動けたように思う。それも完璧だと勝手に思い込んでいた彼女の、新たな一面を知ったお陰である。
私は勝手に彼女の幻影を作り上げ、卑屈になっていた。彼女にも、欠点と言える面があると知ってだいぶ楽になった。それと同時に、一瞬で誰かへの評価は変化するということを身をもって体感した。
どんなに人物ができていても、食べ姿が汚いと忌避してしまいたくなる。彼女が反面教師となり、この一件以来、私は食べ姿が見苦しくないように気をつけている。口を閉じ、うるさくないように食器を使う。いつか意識しないでも、綺麗に食べられる日が来るといいのだが。