私が憧れという感情を抱いたのは、後にも先にも彼しかいないと思う。彼は小学生の時、家が近所で仲良くしてもらっていた1つ上のお兄さん。
彼とは一緒のそろばん塾に通っており、彼は塾内で1番高い段位にいた。そして、彼は学年で1番足が速いらしく、陸上記録会で成績を残すほどだった。
それに加えて、彼はおもしろい。彼といると周りの人達は常に笑顔が絶えない。学年で1番モテるという噂を聞いたが、それを疑う余地はなかった。

私は、なんでも1番になれて、人気者な彼のようになりたいと思った

小さい頃は近所ということもあり、彼といつも遊んでいた。大きくなってもそろばん塾が一緒で帰り道が同じこともあり、一緒に帰っていた。
そのようなことから、周りから彼のことが好きなのではないかと言われたことがあった。私もこれが恋愛感情なのかと錯覚しそうになったが、私が抱く感情はそんな生温いものではなかった。
彼になりたい。なんでも1番になれて、人気者な彼のようになりたい。私は彼が好きなのではなく、本気で彼のようになりたいと憧れていた。彼自身に成り代わりたい思えてしまうくらい。
その時、私は勉強も運動もまちまちで、大人しい性格から友達も少なかった。クラスではいてもいなくても変わらない影の薄い存在。そんな私からして彼は眩しかった。
憧れてしまって当然といえば当然の話。しかし、気づいてしまう。彼は男で、私は女だということを。

いくら頑張っても「女子の中で」というくくりからは抜け出せなかった

いくら頑張っても彼にはなれない。いくら勉強してもいくら走っても彼のような結果を残せない。努力して勉強面で上位にくい込んでも1番は男子だったし、運動に限っては女子である私に勝ち目はなかった。彼のような完璧超人で目立つことはできなかった。
頑張ったところで「女子の中で」というくくりからは抜け出せない。それがやるせなかった。この時、本気で男になりたいと思った。
髪を短く切った。一人称は彼を倣って俺にした。服もズボンしかはかなかった。それでも体は反して丸みを帯びていく。彼のような筋肉はつかない。
なぜ私は男ではないのだろう。私は私の性別を恨んだ。

中学に上がると文武両道と周りから評価を受け、私の努力が報われた

結果どうしたか。私は諦めることにした。憧れても届くものではない。憧れるからつらいのだ。上を見なければ、私はある程度の地位に満足できる。
友達だってできた。昔に比べると幾分か楽しい生活を送っていると自負できる。私はメンタルが弱い。遠く離れた存在をずっと追えるほど、マラソンは得意ではなかった。後ろを見て良い方だと思いたい。それが私の心の醜い部分だろう。

しかし、私の憧れは無駄ではなかったらしい。中学に上がると1番にはなれずとも、文武両道だとよく周りから評価を受けた。彼にはなれないけど、少しは彼のようになれた気がした。
そう思えた時、彼はただの学生と化していた。学年が1つ違うため、1年彼の姿を見ていなかったのだが、彼は別人に成り果てていた。
陸上部の活躍から彼の勇姿を知ることになったが、勉強面で彼の話を聞くことはなかった。彼は学校でどこにでもいる存在となっていた。

それから憧れという感情を私は知らない。