ホットヨガに通って、足がすらっとひとまわり細く引き締まった。
元々くせ毛だった髪は縮毛矯正の結果、くせのない私の髪よりもまっすぐサラサラになった。
綺麗に手入れされた爪は、艶やかで春らしい桜色をしている。
脱毛した肌は滑らかで、私よりも白くきめ細かい。

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私が大学生になったのを機に、母が美容に気を遣い始めた。いや、本来の母に戻ったと言ってもいいかもしれない。祖母の話によると、学生時代の母はかなりのオシャレさんだったようだから。
長期休暇で実家に帰省する度、娘の私からしてもはっとするほど綺麗になっていく母。楽しそうな様子に嬉しい気持ちがある一方で、私が高校を卒業するまでの間はどうして美容に気を遣わなかったのかを考えてしまう。

正直言うと、私を育てるために自分が好きなことを諦めたのではないか、というマイナスな考えも頭をよぎってしまう。実際、幼い時は私の身の回りのことをしたり、甘えん坊の私と過ごしたりする時間を確保するのは大変だっただろう。高校生になってからも、手こそかからなかっただろうけれど、代わりに私の教育費のために仕事に明け暮れていた。

でも、そんなことはなるべく考えないようにしている。周りに流されず、正しいと思う道を突き進む、格好いい母だ。いつでも楽しそうに仕事をし、私と笑い合っていた母だ。
私のために犠牲になったなんて悲劇のヒロイン、そんな肩書き本人が望まないことくらい19年間娘をしてきた私には分かる。

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母は悲劇のヒロインなんかじゃない。母が子を持つことを選んだ。私のような子どもを望んだかは分からないけれど、それでも生まれてきた私を精いっぱい愛し、楽しく生きることを選んできた。
母にかけた苦労も、受けた恩も数えきれないけれど、少なくとも母にとって私の母であるということは、19年間美容にかけるお金も、時間も、楽しみをも凌ぐものであったと信じたい。
そうやって母を自分の自慢だと思うことが、信じることが、娘としてできる小さな恩返しの一つだと思うから。

とはいえ、母親が常に質素で全てを子に捧げる必要もないと思う。幼い子を持ちながらオシャレでいるお母さんも素敵だと思う。お母さんが幸せであることが子どもにとっても幸せだと思うから。

母親はいつオシャレであってもいい。生むという選択をしたからには、子には責任を持つべきだとは考えるが、その前提で自分の人生を大切にしてほしい。子どもがいる自分の人生を子どもごと、自分ごと愛せる、そんな生き方ができたら最高だと思う。

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子育てがひと段落した私の母は今からどんどんオシャレになっていく。若さだけが取柄でしゃれっ気のない私はうかうかしていられない。でも、私は姉妹と間違われるくらい綺麗な母を誇らしく思う。母は第二の人生を歩み始めたのではない。母の人生の19年に私という存在がいただけ。

いつでも楽しく生きようとする母は私の自慢だ。私も将来、母親になるとしても、ならないとしても、母のように、自分のために誰かのために行動できる人であり、それが誰かのためにもなるような生き方をしたいと思う。