以前、母の話を妹としていたときのことだ。
(ちなみに母は、メニエール病とリウマチという持病を抱えながら、体調にムラこそあるが元気に過ごしている)

妹がいきなり「リー(私の呼び名)って、小さい頃、お母さんのことどう思っとった?」と聞いてきた。

唐突な問いだったが、私が覚えていることは......。
当時、ピアノ講師をしていた母が、私の幼稚園の卒園式後に行われた謝恩会で、ピアノを演奏していたこと。

母は幼稚園の役員を務めていたこともあり、演奏オファーを引き受けていたらしい。

そのエピソードを話し、「お母さんのことは......“ピアノを弾ける人”って思っとったかな?」と回答するも、妹は「ふ〜ん」といった調子。

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「聞いてきたのはそっちやんか〜!」と思うほどのテキトーな反応に拍子抜けした私は、「え?逆に小さい頃、お母さんのこと、なんて思っとったと?」と、妹に尋ねた。

「“お母さん”と思っとらんやった!」
あまりにも無邪気な様子で、予想できなかった回答をする妹に吹き出してしまった。

「いや......!あの〜、“お母さん”じゃないなら“誰”と思ってたんよ!」と、私は笑いを堪えながら続けて問う。

「“お菓子を作る人”って思いよった!!」と妹。

確かに母は、私たち姉妹が幼稚園に通っていた頃はメニエール病によるめまいと吐き気にさいなまれていたものの、体調がいい日はキッチンに向かい、マドレーヌやパウンドケーキを焼いて、幼稚園の帰りを待っていてくれた。

その姿は、幼い私にとって「なりたいお母さん像」そのものだった。

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時代はさかのぼり、母が幼少期の頃。
その時代では珍しく、母の両親(私の祖父母)は共働きだったらしい。

ひとりっ子の母は「鍵っ子」と言われ、首から自宅の鍵をぶら下げて小学校に登下校していたそうだ。

「お母さんは専業主婦」という考えがまだまだ根強かった時代。その時代の女性は恐らく「良き母であり、良き妻である」ことを、現代以上に強いられていたのだろう。

「鍵っ子」で幼かった母が、初めて友達の家に遊びに行った時のこと。その友達のお母さんが焼き菓子を用意して待っていてくれたのだそう。

普段は、下校すると首からぶら下げた鍵で自宅の扉を開け、テーブルに置いてあるわずかなお小遣いで菓子パンとジュースを買っていた幼き母。

それは、友達のお母さんの姿やその家庭環境に憧れたに違いない。「自分がお母さんになったら、“焼き菓子を焼いて子どもの帰りを待つお母さん”になりたい」と幼心に誓ったらしい。

母の幼少期の話を聞くと、少々胸が痛む。

“焼き菓子を焼いて子どもの帰りを待つお母さん”になるために、自宅でピアノ講師をしていた母。

現在、26歳の私の周りに、少しずつ「お母さん」になっていく友達が増えている今日この頃。私が幼き頃に抱いた「なりたいお母さん像」が再びきらめき出した。

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小学生の頃から母に憧れて焼き菓子をよく作っていた私は、気付けば母よりも作れる焼き菓子のレパートリーが増えていた。

以前、横浜で一人暮らしをしていた頃、よく遊びに来ていた妹は、そんなことを振り返りながら「リーも前はしょっちゅう焼き菓子を作りよったよね」と皮肉を言う。

かつての私は、長く付き合っていた彼もいたし、「お母さんになった時の練習」と思い、焼き菓子を作りまくっていたのかもしれない。

あいにく、今は結婚したいとも、「お母さんになりたい」とも、微塵も思っていないどころか、そんな相手も居ないのだが。

いつかは私も“焼き菓子を焼いて子どもの帰りを待つお母さん”になれたらなあ、なんて。

「良き母であり、良き妻である」ことを昔ほどは強いられない時代だからこそ、あまのじゃくな性格からなのか、古典的な「お母さん像」への憧れを心のうちに秘めていたのかもしれない。

「新しい家に引っ越したらまた焼き菓子でも作ろうか」

そうポツリとつぶやき、再びきらめき出した「なりたいお母さん像」と、かつて使っていたクッキーやパウンドケーキの型も、荷造りの段ボールに詰め込んでいく。