子どもの頃に平気だったものが、歳を取るにつれて平気じゃなくなる事例は多い。

例えば、子どもの頃、カブトムシやクワガタに慣れていた子が大人になって、捕まえることはおろか、触ることさえままならなくなったという話を聞いたことがある。

大人になるにつれて経験値が増えることから、できることが増えていくほうが理解できるのだが、その逆もまたあり得るのだ。これはどういった理屈なのだろう。

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私の父は若い頃、ジェットコースターが大好きだったらしい。高所も浮遊感も大好きで、よく母とのデートで2人で楽しんでいたそうだ。しかし今は、高い吊り橋さえ足がすくんでしまうという。無論、ジェットコースターにももう乗らない。理由を聞いたら「生存本能かなあ」と言っていた。
絶叫系の乗り物や高所を怖いと思うのは、死と隣り合わせだからという理由がある。例えばジェットコースターなら脱線、吊り橋なら転落など、非日常の中に潜む死の可能性。そこに安全が保証されているから娯楽として楽しめるのだが、私も安全バーの無いジェットコースターなら乗りたくない。恐怖心はそういった「もしも」を考えたが故に生まれる。

父の言う「生存本能」は、家族ができてから大きくなったらしい。何が何でも死ねないという気持ちが膨らんで、そういったヒリヒリした気持ちを積極的に味わおうという気が失せてしまったのだろう。

大人になって無理なものが増える理由も、こういった理屈に沿っている気がする。娯楽の中に、数%のリスクを覚えてしまって、100%娯楽として楽しめなくなるのだ。

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そんな私もつい先日、大人になってしまったなあ、と感じる出来事があった。ポテトサラダを作っていたときのことだ。

野菜を細かく刻むのがめんどうなので、紐を引っ張ったら中のカッターが野菜を刻んでくれる便利アイテム、フードチョッパーを使った。そのフードチョッパーを洗うとき、私はもちろん十分に気をつけていたのだが、私の予想のはるか10倍、カッターは鋭かった。少し刃先に触れただけで、プッ…と親指の腹が切れてしまった。やっちまった、と思うのも束の間、これが普通の切り傷じゃないことに気づいた。

私の中の普通の切り傷は、患部を洗って血を舐めとったらそれで止血完了、絆創膏でも貼れば、あとは唾液の作用で治癒できるという認識だった。しかしパックリと割れた傷口から出てくる血は、舐めども舐めども止まらず、放置すれば腕にまで伝ってくるほどの出血。思ったより深い傷に焦り、急いでネットで止血方法を調べ、実行した。

しかし心許ない。ネットの情報を鵜吞みにした素人(私)の対処ではダメなのでは、と母に電話した。母のアドバイスもネットの情報と同じだったので、そこでやっと落ち着く。が、その夜はよく眠れなかった。

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不思議なのは、指を切った瞬間から気持ちが落ち着くまで、痛さを忘れていたことだ。痛くないことはなかったのだろうが、痛覚まで凌駕するほどの恐怖に襲われていた。
血が止まらない、このまま一生止まらなければどうしよう、手術?縫う?一体費用はいくらだろう、いやそれならまだしも出血死とか、もしかして血が止まらないのは私の血の中に凝固作用のある成分が足りないからなのでは、もしかして私の血液は思ったほど健康ではないのでは……etc。
初めての多量出血にあらゆる可能性が出てきて、怖かった。子どもの頃は痛さで泣いていたのに、恐怖で泣きそうになった自分に気づいて、大人になったなあと実感した。

おそらくあまり共感されない、大人になったと実感した体験である。

ちなみに、大人になるにつれて嫌いな食べ物が減るという事例もあるらしいが、私は真逆で、今も嫌いな食べ物が増え続けているのだが……これに関してはスルーしておくことにしよう。