「間もなく中野、お出口は左側のドアになります」
電車の扉が開き、その影のように線路転落防止の扉も開く。私はするりとホームに降りる。
改札を通り少し歩くとそこはサブカルの聖地ブロードウェイ。今回の逃亡先である。
私は年に数回家出する。近所のビジネスホテルだったり、ネットカフェだったり、都内に出て降りたことのない駅に降りてみたり、その時行きたいと思ったところに行く。泊まる時もあれば日帰りの時もある。
それって旅行なのではと思われるかもしれないが、「ひとりで」「ほぼ無計画で」「誰にも言わず」訪れているのだからそれは家出なのだ。
◎ ◎
辛かったら逃げていいという常套句がある。実現できたら最高なのだが、現実的に考えると無理がある。
そう簡単に仕事も人間関係の縁も切れない。私の職場はブラックではないし、人間関係も切る以前にまともな関係を構築した経歴がない。そんな環境でも塵も積もればなんとやらで、ストレスは年中無休で生産される。
その時は大した事ないと思っていても時間差でダメージが来るため、日常から離れた環境に行って頭の中をリセットする必要がある。
初めての逃亡は中学時代に遡る。中学3年の春、受験対策のために通っていた塾の春期講習で毎日3時間くらい塾に行っていた。
持病の関係で周囲との遅れが出ていたから塾が必要なのは理解していたが、ある日の朝「飽きた」と思った。そして普通に家を出て図書館に自転車を走らせた。中学時代はスマホや携帯電話を持っていなかったのでバレやしないだろうと高をくくっていたが、バレた。
「行ってきます」と家を出る際の所作がぎこちなく母親に見抜かれたらしい。動揺が隠しきれなかったのだろう。ついでに人生初めて悔しいという感情の意味を実感した。
◎ ◎
叱られた内容は覚えていないが、「どうしてこんなことをしたのか」が主だった気がする。母親側も初めての事だったので混乱していたのだろう。
サボった理由を探るべく「勉強が嫌なのか」「塾が嫌なのか」と丁寧に聞かれ、その中に「男か?」と問われた。その言葉を耳にした私は母親から男性関係に疑いをかけられた事実にショックを受けるどころか、「あ、初めて下品な言い方した!」と喜んだのはここだけの話である。「友達すらいないのに?」と答えたら3時間に及んだ尋問はあっさり幕を閉じた。
高校時代は隣町のイオンに行った。この時も衝動的な動機で、平日の昼間のイオンの空気を吸いたかった。担任に「貧血気味なので2時間目まで受けたら早退します」と言い駅に行き、赤い電車でなく橙と緑の電車に揺られて旅に出た。白昼堂々制服姿でフードコートに降りる勇気はなかったのでシャツの上からパーカーを羽織り、制服のスカートからジーパンに履き替えた。
その日はフードコートで昼食をとり雑貨屋やゲームセンターや本屋をうろつきアイスを食べた。アイスを食べながらスマホを出し「イオンなう」と画像つきでフォロワーにダイレクトメッセージを送る。
「今日休み?」
相手はフリーターなので即返事が来る。
「いや、サボり」
「マジで!?笑」
「そう」
「珍しいじゃん」
「そんな気分なのよ」
「アイスよこせ」
「いやでーす」
中身のないやり取りをして雑貨屋で気になってた文具をまとめ買いして家出終了。その日はバレずに済んだ。
◎ ◎
大学時代はグレードアップして1泊2日の家出をした。親や友人、同期...…日常生活に関する人物全員の通知をオフにして完全に孤独の状態にしてコンクリートジャングルへ降り立った。生命力溢れた木々の如く空高く伸びゆくビル群に圧倒される。ショッピングビルとオフィスビルの区別もできなかったため、コンビニエンスストアと駅構内の店とドンキホーテしか入れなかった。
この時の目的は、インターネットの世界で出会った人生の救世主と出会う権利を得たので日本武道館に向かった。
画面越しに見ていたあの人と同じ空気を吸っていた。
正直今住んでいる街が真の目的地とは言い難い。働いている会社も住んでいるアパートも自分の理想と合致しているかと問われれば答えはノーである。
あと1つか2つ街を知ってからでないと目的地は見つからないと思う。
どの土地に何年いても、自分の故郷以上に愛する街を見つけても、結局「どこかに逃げなきゃ」と呟くのだろう。
そして電車に飛び乗り、知らない駅で降りてコンビニエンスストアで適当に選んだ不味いジュースを飲んで、買ったことを後悔するのだろう。
今日も迷子、明日も迷子、迷子は永遠に続く。