「自分のことを好きでいられますように」。これは今年の2月に絵馬に綴ったお願いの言葉。自分のことを好きでいるには、どうすれば良いんだろう?
2023年の、1月2日。新年早々、あたしはパニックになり過呼吸で喘いでいた。
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なんだか、和気あいあいとした、まあるい輪のようなものの中にいると、段々汗ばんできて、目の淵に涙が溜まってくる。親戚の10人くらいでこたつを囲んでいるこの輪の中で、突然。自分でもその生理現象の原因をうまく説明できない。泣いているところを見られたら、注目される。注目されたら、心配される。誰にも気付かれないように涙を拭ったり、涙を抑えようとするほどに、涙が溢れる。遂に、隣にいた叔父が異変に気付き、「どうしたの?大丈夫?」とあたしに尋ねる。
飛び交う会話の隙間を縫って、部屋全体に響き、あたしは注目されてしまった。皮膚の隙間から汗が噴き出し、鼓動の音が聞こえる。注目が薄れた途端に廊下へと飛び出して、呼吸を整えようとした。でも、整うどころか呼吸はどんどん薄く速くなって、吸っても吸っても足りなかった。こんな姿見られたくない。そう思って2階に駆け上がり部屋のベッドに腰をかけた。
1人の空間なのに、うまく呼吸ができないことで焦り、焦るせいでさらに鼓動が速くなった。心配して様子を見にきた親が背中をさすってくれた。10分ほどして段々と平静を取り戻したがどっと疲れていた。
初っ端からこの調子で、今年、あたし、一体どうなっちゃうんだろう……。
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その不安とは裏腹に、去年より活動的になった。
去年は最低限の生命活動と病院への通院以外ほぼ何もできなかった。何をしても楽しくなかった。能動的な事はもちろん、映画鑑賞、漫画鑑賞、音楽鑑賞などの受動的なことでも、ノレない。
1月8日。お寺に立ち寄った。おみくじを引いた。吉だった。凶を引いてその通り悪いことが起こったら、おみくじに責任をなすりつけようと思った。そういう乱暴な発想になる自分が、いつもより元気だと思った。でも、吉は純粋に嬉しかった。絵馬を買ったものの、今年1年を通して、どうしてもしたいお願い事を決められず、家に持ち帰って悩むことにした。
3月までの今年の活動量は、去年の活動量を既に超えている。
正月の過呼吸で、全てを吐き出したのかもしれない。
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出来ないと思っていることに挑戦する勇気が生まれた。出来ない現実を見つめる理性が生まれた。出来なくても、工夫して出来るようにする気力が生まれた。
重い腰が少し軽くなった。
ここに載せるための文章を書き溜めるのも、その活動の一つだ。
ツイートはできるし、ポエムも思いつくけど、長い文章なんてそれこそ読書感想文以来書いてないし、読書感想文なんて「思いました。」で統一された不自然な語尾を訂正するのに苦労した記憶しかない。だから自分には書けない。ここに書いている人たちは凄いな。今まではそれだけで終わってたのに、今なら、どうしたら書けるだろうか?と向き合う気力がある。
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1万字弱の短編小説を書いてネットにアップした。
友達を誘ってスケートリンクで駆け回る子供の真似をした。
気持ちが暗いのに髪だけ明るくてもおかしいと思って、暗くしていた髪の毛を明るくした。
整骨院に初めて行って、治らないと勝手に決めつけた脚のよじれを取るための矯正法を教えてもらった。
有り余る時間で50冊くらいの本を読んで、視野が広がった。
放置していたお下がりのスケボーも最近触り始めた。
あたしは絵馬に綴った。
「自分のことを好きでいられますように」
まだ音楽は聴けない。それでも、自分のことを好きでいられる方法を探している。自分を好きになりたいという自分は、健気で、それだけで愛おしい。もう達成してしまっているのかもしれない。これからもそう思い続けることができますように。