もう見られない祖母と母が立つ台所。寂しい気持ちでいっぱいになった

犬屋敷家のキッチン。
コンロが3つある調理スペースと、家族で食事をする大きなテーブルがある。
定義的にはキッチンだけど、我が家の場合は「台所」の方が合っている気がする。
中身がパンパンで、使い古された冷蔵庫が2台。
毎年お餅を焼いていて、焦げついている石油ストーブ。
レバーの部分がちょっと壊れた米びつ。
生活感がかなり出ているのもあるけれど、懐かしさと我が家の歴史を感じる。
そんな場所で、エプロンを身につけた祖母と母が並んで、毎食の料理を一緒に作っていた。
たまに、私が祖母と母に加わって手伝ったり、完成したおかずを味見させてもらったりもした。
その印象が強いこともあり、我が家では全員が「台所」と呼んでいる。
幼少期から私は、祖母と母が2人で料理をしている光景を見てきた。
私は、それを見ているのが好きだった。
「ずっと見ていられたらいいな」と思っていた。
でも、私が中学生になる頃から、少しずつ変わっていった。
もともと朝が弱かった母は、起きるのが遅くなり、朝食や父のお弁当をあまり作らなくなった。
こうなると、作るのは祖母一人。
母はすっかり祖母に甘えていて、悪びれた様子もない。
昼食は母が、夕食は2人で作っていた。
3が日だけは、朝食の準備を一緒にしていたし、母はそんなに気にしていなかったのかもしれない。
しかし、祖母はこのときほぼ70歳。
実家がある地域の、同年代のお年寄りはみんな、起きる時間がゆっくり。
祖母はというと、毎日6時前に起床、寝る時間も遅い。
美容師の仕事もほとんど祖母がしていたので、結構負担になっていたと思う。
私は平日に部活の朝練があったので、休日だけ祖母と一緒に朝食の準備をした。
「ばあさんは女中じゃないんだよ」と、祖母が愚痴をこぼすようになった。
夕食も祖母が一人で作っている日があった。
母はお昼寝の延長で爆睡していた。
「疲れてるんだから寝かしときな」と、祖母は怒っている様子はなかった。
「みちるちゃんが手伝ってくれるから助かるよ」と言ってもらえて、私は嬉しかった。
いつか、また2人が仲良く台所に立っているのを見られると信じていた。
私は社会人になっていた。
実家の台所の状況は、相変わらずだった。
母が毎日朝食を作るようになったのは、祖母が余命宣告を受けてからだった。
祖母が亡くなってしまった今、もう二度と台所で昔と同じ光景は見られなくなってしまった。
私は、寂しい気持ちでいっぱいになった。
現在は、母が一人で台所に立っている。
父は、母のことを全然手伝わなくて、食べ終わった後の皿洗いさえ滅多にしない。
帰省する度に、私が母と一緒に毎食作って、後片付けもしている。
「お父さんは全然しないから、みちるが手伝ってくれて助かるよ」
母のその言葉に、祖母にも同じようなことを言われていたなと懐かしさを覚える。
母が一人でいる台所を見ると、どこか寂しさを感じてしまう私。
帰省して台所を覗くと、割烹着風のエプロンを着けて、私に具だくさんの雑炊を作ってくれていた祖母。
「ただいま」と私が声を掛けると、にっこりしながら「おじやができたよ」とテーブルに持ってきてくれた祖母。
祖母がいない台所。
祖母と母が2人で並ぶことはもうない。
こんなに寂しい気持ちになるなんて思わなかった。
父と母と、一緒に笑って食事をしているけれど。
母と一緒に料理するのは楽しいけれど。
私はやっぱり、昔見たあの光景をもう一度みたいと思ってしまう。
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