犬屋敷家のキッチン。
コンロが3つある調理スペースと、家族で食事をする大きなテーブルがある。
定義的にはキッチンだけど、我が家の場合は「台所」の方が合っている気がする。
中身がパンパンで、使い古された冷蔵庫が2台。
毎年お餅を焼いていて、焦げついている石油ストーブ。
レバーの部分がちょっと壊れた米びつ。
生活感がかなり出ているのもあるけれど、懐かしさと我が家の歴史を感じる。
そんな場所で、エプロンを身につけた祖母と母が並んで、毎食の料理を一緒に作っていた。
たまに、私が祖母と母に加わって手伝ったり、完成したおかずを味見させてもらったりもした。
その印象が強いこともあり、我が家では全員が「台所」と呼んでいる。
幼少期から私は、祖母と母が2人で料理をしている光景を見てきた。
私は、それを見ているのが好きだった。
「ずっと見ていられたらいいな」と思っていた。
◎ ◎
でも、私が中学生になる頃から、少しずつ変わっていった。
もともと朝が弱かった母は、起きるのが遅くなり、朝食や父のお弁当をあまり作らなくなった。
こうなると、作るのは祖母一人。
母はすっかり祖母に甘えていて、悪びれた様子もない。
昼食は母が、夕食は2人で作っていた。
3が日だけは、朝食の準備を一緒にしていたし、母はそんなに気にしていなかったのかもしれない。
しかし、祖母はこのときほぼ70歳。
実家がある地域の、同年代のお年寄りはみんな、起きる時間がゆっくり。
祖母はというと、毎日6時前に起床、寝る時間も遅い。
美容師の仕事もほとんど祖母がしていたので、結構負担になっていたと思う。
私は平日に部活の朝練があったので、休日だけ祖母と一緒に朝食の準備をした。
「ばあさんは女中じゃないんだよ」と、祖母が愚痴をこぼすようになった。
夕食も祖母が一人で作っている日があった。
母はお昼寝の延長で爆睡していた。
「疲れてるんだから寝かしときな」と、祖母は怒っている様子はなかった。
「みちるちゃんが手伝ってくれるから助かるよ」と言ってもらえて、私は嬉しかった。
いつか、また2人が仲良く台所に立っているのを見られると信じていた。
◎ ◎
私は社会人になっていた。
実家の台所の状況は、相変わらずだった。
母が毎日朝食を作るようになったのは、祖母が余命宣告を受けてからだった。
祖母が亡くなってしまった今、もう二度と台所で昔と同じ光景は見られなくなってしまった。
私は、寂しい気持ちでいっぱいになった。
現在は、母が一人で台所に立っている。
父は、母のことを全然手伝わなくて、食べ終わった後の皿洗いさえ滅多にしない。
帰省する度に、私が母と一緒に毎食作って、後片付けもしている。
「お父さんは全然しないから、みちるが手伝ってくれて助かるよ」
母のその言葉に、祖母にも同じようなことを言われていたなと懐かしさを覚える。
母が一人でいる台所を見ると、どこか寂しさを感じてしまう私。
帰省して台所を覗くと、割烹着風のエプロンを着けて、私に具だくさんの雑炊を作ってくれていた祖母。
「ただいま」と私が声を掛けると、にっこりしながら「おじやができたよ」とテーブルに持ってきてくれた祖母。
祖母がいない台所。
祖母と母が2人で並ぶことはもうない。
こんなに寂しい気持ちになるなんて思わなかった。
父と母と、一緒に笑って食事をしているけれど。
母と一緒に料理するのは楽しいけれど。
私はやっぱり、昔見たあの光景をもう一度みたいと思ってしまう。