いつだったか、何をするにも「完璧」な姉が、物寂しげに呟いた言葉を私は今でも忘れられずにいる。心の片隅にぼんやりと、でも確かに在る言葉。
「自分の長所は『平均以上に何でもできること』。でも所詮、『平均以上』なんだよね」

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私も姉も「世渡り上手」という意味では、器用な生き方ができる人間だと思われる。実際今まで、親譲りの社交性を活かしながら、数多の過酷な人生の試練を乗り越えてきた。厄介な人間関係や職場環境、周りとは少し違う家庭の事情。しかしその全てを『不幸』だと感じたことはなかった。その理由のひとつとして、「私はやればできる子」という負けず嫌いから来る熱を帯びたやる気と、出所不明の絶対的な自信があったからだ。それは幼い頃から変わらず、社会人になってから今日に至るまで、全く変わることのない事実であり信念でもあった。

姉は結婚してパートスタッフとして、私は正社員として、それぞれの会社に勤務をしている。仕事に真面目に取り組み、率先的に業務をこなす姿勢が評価され、今までの職場では何かしらの役職に就いてきた。そこで目の当たりにする壁が、昇格のスピードである。大体どの職場でも、最短での昇格が実現した。しかしそれは、まだ若く、そして社歴も浅い人間が、先輩たちを一気に追い越して手にする昇格でもあった。一言で表すなら『年下上司の誕生』である。実際に数字と結果が結びついたが故の昇格であることに違いはないのだが、それを良く思わない人間も沢山いた。陰口を叩かれ、指示は聞いてもらえず、結局担当する業務は昇格前より何倍にも増えていった。孤独を感じることも多くなり、1人で泣くことも少なくなかった。

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人以上にできるということは、人以上に努力をしているということだ。たとえそれが平均程の結果だったとしても、努力の全てが周りの目に映らなくとも、努力の足跡は振り返れば必ず自分の後ろについているのだ。だからこそ、相手が社歴の長い年上の先輩だろうが、新しく入った若者であろうが、隔たりなく真っ当にぶつかっていくしかない。今までの努力と私自身を信じて。

人より少しばかり優れていても、才能を完全に開花させることは確かに難しいことかもしれない。平均を越えることがどれほど困難なことかも、私は身をもって知っている。だからこそ、何事にも全力で取り組み、どれが自分の「平均以上」になるかを探し続けていきたい。どう出るか分からない人生のサイコロを振りながら。それは単純に運任せか、それとも努力次第か。その結果がわかるのは、一体いつになるだろう。それすらもわからない。

季節は巡り、新たな出会いの息吹を纏いながら、今年も春がやってくる。あっという間に4月。昨年転職した今の職場で私はまだ役職には就いていないが、新入社員が来れば自動的に先輩になる。胸を張って接していこう。私は今日も「平均以上、最高寸前」にいるのだから。