大学院で得られるものはないと思った。
進学を辞めたことは「逃げ」なのか。

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私は3月に卒業を控える、理系の大学4年生だ。同級生のほとんどが大学院へ進学する。私も大学院へ進学しようと思っていた。たいした目的はなかったが、必死に勉強して入学した大学だったので、修士課程で論文を書いてみたいと思っていた。検索すると自分が関わった論文がヒットする……知らない誰かに読まれる……そういうことに憧れがあった。

しかし私は、4年生の夏から就職活動を始め、内定をいただいた会社に入社を決めた。
院に進学し研究室であと2年過ごしたとして、何も得られないと思ったからだ。

論理的に不可能なことでも、やってみなきゃわからないと言われ、実験を繰り返した。
自分で調べて意見をしても、理由は教えてもらえないまま却下された。
私の「意見」は、教授にはきっと「批判」に聞こえていたのだろう。何を言っても無駄だった。

同期と先輩には、私が不可能な指示を出されていることをうまく伝えられなかった。
私の研究内容を理解している人は教授と私しかいなかった。
教授は人望がある人だったので、同期の一人に相談したとき、教授がそんなこと言うわけない・するわけない、と信じてもらえなかった。研究室内の人間関係を壊したくなくて、それ以上研究の相談をできなくなった。

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大学4年の夏、就職活動するにはもう遅い。優良企業の選考はほとんど終わっているかもしれない。それなら他の大学の院へ行こうか。でも力がない。実力の無さを埋める自信もない。
正直言うと、今所属する研究室では修士課程で成果がなくても、心を捨てて指示に従ってさえいれば、卒業できる。そのため新卒カードを大切に使うために院に進学するべきだと言う人もいた。

でも、このまま研究室に残って、何ができるようになるだろうと思った。2年間心を削って、意に反した実験を続けて何を得られるだろうか。私は、就職活動をすることに決めた。選考が終わっていない企業をあらゆる方法で探した。大学の専攻とは全く違う業界を選んで、気持ちを新たに学び直そうと思った。きっと実務でしか得られない経験があると、自分に言い聞かせた。修士に進んでいたらできなかったであろう経験をしよう。院進学をやめたおかげで2年分を取り戻したような気分だった。

それなのに、研究室内の一人に就職活動を始めることを伝えたとき、こう言われた。
「今研究から逃げたら、将来辛いことがあったとき、また逃げちゃうよ」

この言葉に驚いた。私にとって、就活を始めて現状を変えることは、挑戦だった。私にとっての「逃げる」とは、自分の意見は通らないのに、聞いてもらえないのに、実験を続けても成果が出ないとわかっているのに、新たなアクションを取らず研究室に残ることだった。
就職活動を「逃げ」だと表現したその人は、研究を楽しんでいた(ように見えた)。とても素直そうな良い人で、本当に悪気は無さそうだった。嫌味のない人だからこそ、私は余計に苦しかった。

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就活では、大学院進学を辞めたことを逃げだと表現する面接官はいなかった。むしろ挑戦だと捉えてくれる人の方が多いように感じた。最終面接で「論文は書けますか?」と聞かれたときは心がキュッとなったが、とにかくやる気をアピールした。

この先きっと私は、環境を変えるとき、「逃げ」なのか挑戦なのか考えると思う。私が院進学を辞めたことは、聞く人の考え方や経験によって、捉え方が変わるだろう。甘えから生じた「逃げ」なのか、ようやく得た大学生の権利を捨ててまで選んだ挑戦なのか。
数年後、この決断が挑戦だったと思えるような仕事をしたい。
院進学をやめることを「逃げ」と表現された悔しさを忘れない限り、私は就職先で頑張れる。