「地元に帰って、好きな人と小さなアパートを借りて、ダックスを飼ってね、子どもも2人作って、普通に暮らすの。でも、もうそんなの私に無理だよねぇ」
これは学生の頃に一緒に住んでいた女の子が酔い潰れながら呟いた、きっと叶わない夢の話だ。
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正直、一緒に暮らしたのは数ヶ月だけで、彼女が今どこで何をしているかは全く知らないし、彼女の名前だって今となってはよく分からない。なんなら、彼女が私に教えてくれた年齢も、出身地も、昼の仕事のことも、それ以外のことも。今思えば、本当のことのほうが少なかったんだろうと思う。21歳の新潟出身、地元の短大卒で、メーカーで事務職をしていたSちゃんだ。
いつも昼間か夕方に起きてきて、面倒くさそうに色々な男の人とLINEをして、アイコスを肌身離さず持ち歩いていたSちゃん。「あたし二十歳になってから15キロ太っちゃったから、昔彫ったタトゥーが変になっちゃったの」って、笑いながら内股のゆがんだ蝶を見せてくれたSちゃん。飲み会になると、冷蔵庫の中の余り物で、手際よくおつまみを作ってくれた料理上手なSちゃん。
実際のところ、Sちゃんが人に言えない仕事を掛け持ちしていて、どれだけ頑張っても21歳にみえなくて、本当に救いようのない、どうしようもない女の子だったことは誰がどう見ても間違いなかった。
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しかし、当時の私も、人のことをとやかく言えないくらいどうしようもない生き方をしていたためだろうか。彼女と過ごした短く情けない数ヶ月間というのは、美しくはなかったものの、それは確かに、ひどく爽やかな私たちの青春だった。
ここに書けることはなにひとつとして無い(くらいひどい)2人の思い出。
戻りたいと思うことはないし、戻れるわけもない。けれど、懐かしいと思えるほどには胸に残る、他愛のない心地よさ。そんなものが、確かにあの頃の2人にはあったのだ。
非常に排他的な街で、排他的な仕事をこなして、排他的な生き方をしていた私たち。
どうしようもないSちゃんに全くもって似合わない、慎ましく穏やかなあの夢が叶ったのか、彼女の連絡先はもう消えてしまったので、今の私に確かめるすべはない。しかし、なんなくだが、Sちゃんはまだあの街で何一つ不自由なく暮らしいているような気がする。
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一方で、私の夢は叶った。某メディアで報道記者になったのだ。あの頃に連んでいた友達に話したら、きっと誰も信じてくれないだろうが、私はいま、日々誰かのために生きている。あのときのSちゃんと私のような、力も何も持たない、どうしようもない女の子たちが幸せに生きていけるように、日本の社会を変えられる仕事に就きたかった。
Sちゃんが地元に帰って、好きな人と結婚をして、大きな家を買って、ダックスを何匹も飼って、可愛い子供が何人もできて、「なんだか幸せだなぁ」って思えるような、そんな世界を作りたかったから、今日も必死になって朝から晩まで働いている。
もう二度と会えない2人。名前もちゃんと知らない2人。そんな彼女と私の夢が覚める日を、きっと誰かも待っている。