愛の種類はきっと1つではない。そして、愛を受け取る受容体もきっと1つではない。いろいろな愛とその受容体が人間には備わっている。そして、持っている愛も受容体も人によって異なっているのだと思う。私は自分の親が注いでくれた愛の受容体を多分持っていない。
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きっと私は愛されて育った。習い事もたくさんさせてもらえたし、好きな高校に進学させてもらえた。毎月お小遣いももらっていたし、毎シーズン洋服を買ってもらっていた。恵まれた家庭で育ったと思う。たくさん愛されてきたのだと思う。でも、そう思うたびに心がギシギシと音をたてる。客観的な評価を認識するたびに、主観的な評価とのズレを自覚する。その矛盾を受け入れられなくて私の心はギシギシと音をたててSOSを知らせる。
子供のことよりも仕事を優先する両親。「ちょっと待って」、「あとにして」、この言葉を素直に信じて待ち続けていた小学生時代。「ちょっと待って」は拒絶のサインだと察してからは両親と距離を置くようになった中学時代。
幼い私はよその家庭のことなんて知らなかった。だから、私は愛されていない、私は恵まれていない、そのことが正しい評価だと思っていた。でも、大学生になり広い世界に飛び出した。すると、世間から見ると私は愛されて育っているし、恵まれた家庭だったのだと気がついた。でも、気がついただけでその客観的な評価を受け入れられないまま22歳を迎えた。私の心の中ではずっと、正反対の客観的な評価と主観的な評価がせめぎあっている。
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去年、私は結婚式の準備を行うことになった。私は正直複雑な気持ちだった。パートナーがキラキラした目で、「結婚式を挙げることが夢だったんだ。一緒にかなえてほしい」なんていうもんだから、渋々了承した。女の子なら一度はあこがれる結婚式。なぜ、私の腰がこんなにも重いかというと、両親とのやり取りをしたくなかったからだ。
たかがそれだけと思う人も多いと思う。私にとってはされどそれだけ。長年の経験から傷つく予感がしていた。愛されて育ったパートナーにはこの感覚はわからない。わかってほしくない。そう思い、心の放つ警告を見て見ぬふりをして式の準備を始めた。
最初のうちは、結婚式も悪くないなんて思うほどに楽しかった。徐々に雲行きが怪しくなったのは式まで3か月を切ったころだ。心の警告は的中した。両親と相談して決める内容が増えてくると私は目に見えてやつれていった。遠方に住む両親にはLINEのテキストチャットで連絡しているのだが、既読無視をされたり、聞いたことの答えが返ってこなかったりと相変わらずな対応だった。頼んでいたことの期日を守ってもらえず、リマインドすると「忘れてた」と返ってくる。本当に私はこの両親に愛されているんだろうかと不安になった。
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ドレスの試着にはいつも来てくれた母。きっと愛してくれているから来てくれたのだとパートナーは言う。幼い頃の写真のデータを用意してくれていた父。きっと愛してくれているから準備してくれたのだとパートナーは言う。でも、私にはその愛が伝わらない。都合の悪いことになると無視をする両親が愛してくれていると思えなかった。心がギシギシと音をたてていた。
気持ちが少し落ち着いてきたので、返信が来ないチャットの内容を母に通話で聞いてみることにした。「これお願いしても大丈夫ってことなん?家族のグループLINEに送ったの誰からも返信なくて困ってるんじゃけど…」。すると、母は「父さん返信してないん?返信するように伝えたんじゃけどな…」と。
きっと母の中では返信するように伝えたから大丈夫という考えだったようだ。でも、それは私が勇気をもって通話をかけるまで伝わらないことだ。やっぱり私は両親から愛されているように感じられない。きっと、私には両親からの愛を受け取る器官が備わっていない。
今日まで親が注いでくれた愛って何だったのだろう…?そして、私の持つこの愛の受容体は何だったのだろう…?どれだけ両親が愛を注いでも、どれだけ私がその愛を受け取ろうとしても、きっと私たちはすれ違う。誰か、この愛の名前を教えて。