懸賞が当たった。
宝くじが当たった。
大好きなアーティストのチケットが当たった。
幸運だと思う出来事は、人それぞれだ。

私も幸運だと思う瞬間はたくさんある。大会で賞をもらったり、たまたま立ち寄った飲食店でクーポンが使えたり、もちろん、くじで何か当たったりしたら幸運だと思うし嬉しい。
でも、私の幸運な出来事は「ここに生まれ、生きてこれたこと」だと思う。

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幸運な出来事が何か考えた時、私はここに生まれ、大好きな姉のそばにいられて、病気を乗り越えられて、生きてこれた。もうその事実こそが、幸運な出来事でしかないと思った。

私はこの生まれた土地が好きだ。駅が近くて、スーパーが家の前にあり、コンビニだって徒歩数分。人通りもちょうどよく、生活しやすい。こんな住み心地の良い場所に生まれ、生活できているなんて、それは幸運なことだ。

そして、私には2つ年上の大好きな姉がいる。姉は私にとても優しい。それに私をとびっきりかわいがってくれる。私と一緒にいろんなところに遊びに行ってくれる。いろんなものを買ってくれる。一緒に大会に出て切磋琢磨した。作品も一緒に作って、人生相談だって何時間も何十時間も何百時間もした。姉がいなかったら今の私は存在しない。姉は私にとってかけがえのない存在で、私の人生を支えてくれるとって大切な存在だ。そんな最高な姉がいるってことは幸運の極みだ。

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それから、私は先天性心室中隔欠損という病気で生まれた。病状が重く、手術しなければならなかった。そして5歳の時に手術をして、成功した。8時間もの長い手術を乗り越えることができた。家族や親戚のみんなが支えてくれた。そして完治した。生死を彷徨ったが、私は今生きている。生きてこれた。奇跡かもしれない。これを幸運と言わなかったら何を幸運と言うんだと思うくらい、幸運だったと思う。

私はたくさんの幸運な出来事のもと生きているのだ。

でも、幸運だと思えない出来事もある。

アレルギーに悩まされたことが多かった。今も花粉症や皮膚炎を含め、アレルギーに苦しんでいる。小学生の頃は学級崩壊していて、クラスにヤクザのようなお父さんが乗り込み大事件になった。クラスの児童半数が涙するような大変な時期もあり、勉強どころじゃなかった時もあった。中高時代には体育館シューズを投げられたり、陰口を叩かれたりと、様々な嫌がらせにあった。教室にいるのが苦痛でトイレで弁当を食べる日々が続いたこともあった。友人だと思っていた人にカッターナイフを突きつけられたこともあった。人間不信になって大学でも周りと馴染めなかった。自分の価値を自分で決めつけ、自分で自分を苦しめたこともあった。正直辛かったし、この辛かった出来事がなかったことには決してできない。私の心に刻みつき、辛かった出来事は消えることはない。

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でも、それでも私は、ここに生まれ、生きてこれたことが幸運だと思う。

そう思えるのはきっと、辛いことが心の中にあっても、その辛さを超える、優しさに触れることができたからだ。これも幸運な出来事の一つだと思う。
大好きな姉に愛してもらったこと。初恋の人に出会え、素敵な時間を過ごせたこと。新たなパートナーに出会え優しくしてもらったこと。私のことを私のこと以上に大切に思ってくれる友人がいると再確認できたこと。
ここに生まれ、生きてこれたから気づいたこと。
ここに生まれ、生きてこれたから、愛情に触れ、大切な人たちに出会うことができた。
約30年間、いろんな出来事があった。辛いことや悲しいことも山ほどあった。今だって、時々不安や不満で心がいっぱいになって苦しくなることもある。
でも、それでも私は、ここに生まれ、生きてこれたことが幸運だったと言える。
目を閉じると、そこに私の大切な人が何人も想像できる。私は幸せ者だ。

ここに生まれ、生きてこれたこの幸運に、心から感謝。