「24歳までに結婚してー、26歳には子供を産みたいかなー!」
高校生くらいのとき多くの友人と同じような希望を持っていた。高校・大学を卒業し、社会人生活が数年経ったころから友達は二極化。結婚は30代でいい、今は仕事/遊びたい派。結婚したい、とにかく婚活派。私は早く結婚したい派に属していた。
モテるわけではないがモテないわけではない。学生時代からそれなりに恋愛をした。まだ結婚しなくてもおそらく結婚のチャンスはあるだろう。
そんな思いもありつつ26歳の誕生日に彼からのプロポーズを受け、婚約し入籍した。大きな不安要素はないし、優しい。何より結婚適齢期だ。断る理由は特になかった。
高校生から変わらぬ早く結婚したいと思っていた私は結婚から「安心」を得た。
もう別れを経験する必要はない。
一から新しく関係を構築する必要もない。
結婚出来るか不安に思う必要もない。
友達からの結婚報告を受けてモヤモヤする必要もない。
親も安心するだろう。
結婚して「安心」を得た引き換えに「期待」を失った
自分らしくないと思いながらも、いわゆる大手企業でバリバリ働いていた私は転職を決意。自分のペースで自分らしく働ける会社に転職した。
日々の胃痛からも日曜夜の憂鬱からも卒業。心地よい生活を送れるようになった。これも結婚による「安心」を得た結果だ。2馬力であればバリバリ働く必要もない。
こうして得た「安心」と引き換えに失ったものもある。「期待」だ。
『夫婦は助け合うもの。共働き時代、家事は分担』
どこかで聞いた理想を鵜呑みにしていた。
料理は私、お皿洗いは彼。枕カバーの洗濯は私、布団干すのは彼。
家事を細分化し、役割を決めたこともあった。
結婚から約1年。 思い描いていた生活とは程遠い生活を送っている。
鍵ちゃんと閉めて。
電気ちゃんと消して。
食べたお皿はすぐに洗って。
布団干して。取り込んで。
口うるさい私と不機嫌な彼。
言われないと動かない彼とイラつく私。
次第に私は諦めるようになった。
機嫌を取りながら、気を使いながら、細心の注意を払いながら伝えるくらいなら自分でやったほうが早い。不穏な空気も流れない。
「やってあげてる」と思うとなぜ私だけ?と思う。私は「『自分が』イライラしないためにやってるんだ、あくまで『自分』のため」そんな風に言い聞かせながら日々家事も仕事もこなしている。
虚しい思いをするくらいなら期待しない方がいい。結局彼を愛している
まだ期待を持って口うるさくあれこれ言っていた頃から、夜の生活はなくなった。もうかれこれ1年近くしていない。当初はこのままでいいのかと悩んだ。乗り気じゃない彼に無理やり迫って、結局最後までできず虚しい思いもした。
でも期待をしなくなった今、悩むことはもうない。身体の関係だけが愛じゃない。虚しい思いをするくらいなら期待しないほうが良い。寝る前にお話するだけでも楽しいし、それでいいじゃないか。子供がほしくなったら他にも方法はある。そのとき考えればいいじゃないか。
不満はありつつ、結婚を後悔しているのかと言われると、そうでもない。
「安心」は何よりも大きな結婚の産物だ。安心に包まれながら彼と過ごす時間は楽しいし、愛おしい。結局は彼のことを愛しているのだと思う。
私は今日も脱ぎ捨てられた靴下にイライラしながら、喜ぶ顔を思い浮かべて彼の大好物であるカレーを作る。