応援する「推し」のために働き、「推し」の姿にニヤつく一年を

2022年は「アラサーで推しに貢ぐ社会不適合なフリーター」として生きていくことに決めた。
年相応の振る舞いもしないし、応援している「推し」のために働いて、「推し」の姿を見てニヤつく一年を過ごす。
新年早々尖りすぎだし、アラサーの抱負にしては幼稚すぎるのもわかっている。

こんなに尖った抱負を持つのは、会社をクビになったことがきっかけだ。
「推しに会えるかも、一緒に仕事ができるかも」と思って入社したイベント会社だったが、そこで私の人間性は社会からはみ出ていることに気づいた。

例えば自分の中で業務に不安点があって質問したら、「なんで新人のあなたが上司に指示を出しているのか?」と呼び出しを食らった。
また、打ち合わせもしっかり発言しようと必死に入っていったが、「場にそぐわない発言をしている」と周りをいつの間にかドン引きさせていた。

一番ショックだったのが、「推し」についての話を業務中のヒアリングと勘違いしたことだ。
とある先輩が私の「推し」について業務中にたくさん質問するので、「何かのイベント企画で『推し』をキャスティング候補にしているのか!」と思い込んで「推し」について語った。
しかし他の社員に、「あの先輩社員は、新人のあなたに気を遣って趣味の話を聞いてるだけですよ」と申し訳なさそうに注意された。

「なんで変な人ばっかりなんだろう!」って思っていたけれど

こういう類のことが幾度となくあった。私本人も言われるまで気づかないし、注意されてすごくすごく気をつけていても「注意しても全く治さないのはなんでですか?」と落胆された。
まるで私が悪者で、会社は被害者で困惑したような雰囲気だった。
「もうこれ以上雇えない。あなたはビジネスマンとか以前に、人と会話するのに向いてないと思う」と、クビになった。

思い返してみれば私の人生はこんなことばかりなのだ。
中学・高校は自分の成績がついていけないのが心配だったから勉強しすぎて敬遠されたし、大学では絶対に孤立しないようにと頑張ってみんなに愛されるようなキャラクターを作ったら、調子に乗って周りからはすごくいじられてしまい、精神的に疲れた。
お堅い教員には嫌われてアカデミックハラスメントにもあい、授業もまともに受けさせてもらえなかった事もあった。

「なんで私の行く場所行く場所は、変な人ばっかりなんだろう!運がないな!」って思っていたけど、「おかしいのは周りじゃなくて私じゃないか」とやっと気づいた。

これだけしんどい最中でも行動できてることはすごくないか?

本当にメンタルはどん底に沈んだ。
今までの違和感、生き辛さという心の奥に溜まった鉛を実感した。
それに気づくと、人間は本当に動きが鈍くなる。
身体は重たいし、感情の制御がバカになり「ココで?」みたいなところで涙が止まらなかった。
頭もぼーっとして働かなくて、車の事故も起こした。少し擦っただけで済んだが修理代で数日の日給が飛んでまた泣いた。

だけど、寝込んでひきこもりになることはなかった。
辛い中、頑張れたのは「推し」のおかげだ。
「推し」の配信があるからそれまでにご飯を食べるだとか、「推し」のグッズが届くから部屋を片付けるとか、自然と身体が動く。

また、「推し」のイベントに行ってかなりのパワーももらった。「推し」を応援するにはたくさんお金がいるから、年末年始は単発のバイトに足を運び、屋外で抽選会の誘導をした。

「推し」の素晴らしさを伝えたくてこのエッセイを書いている事もそうだ。
これだけしんどい最中でも行動できてることはすごくないか?と思っている。

失業しているのに「推し」に貢いでいる将来性のないアラサーは、全く褒められないどころか、社会から見るとマイナス1億点かもしれない。
実家暮らしだし恋人もいるわけないし、新しい内定先も決まってないし。
でも、社会からはじき出されたこのしんどくて辛すぎる日々をなんとか耐えているところは、自分だけは褒めてやりたいのだ。

きっとこれからも自分の人間性のおかげで、辛いトラブルはたくさん起きるだろう。
でも何があっても2022年はとりあえずこのペースで行きたい。
こんな自分を認めて、愛していこうと思う。