私は仕事人間の父親と専業主婦の母親に育てられた。男は外で稼ぎ、女は家庭を守るという風潮が今よりもまだ強かった時代。そんな家庭で育った私は、母親のような専業主婦を目指すどころか父親に似て仕事好きで、できれば一生仕事は続けていきたいと思っている。三年前に結婚した夫は私の仕事にも理解を示してくれて、お互いに仕事と家事を分け合って気持ちよく生活してきた。

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私は排卵障害があり自然な妊娠は難しかったが、それでも私たちは子どもが欲しかったので、仕事と両立して不妊治療を始めた。想像以上に時間もお金もかかり、何も悪いことをしていなくても、すみませんすみませんと職場に頭を下げて休みをもらい、地道に治療を続けてきた。やっとの思いで授かった命を、先月出産した。お産は想像を絶する辛さで、私の泣き叫びながらの分娩に夫も立ち会った。

そんな思いをして生まれた命を、私は当然のように夫とともに育てたいと思っていた。だって、私が産んだけれど、二人の子どもだから。でも私が育児休暇を一年間取ると伝えた時、夫からは「一ヶ月が限界」と返ってきた。それはやがて二週間、一週間と縮まり、最終的に夫婦が一緒に育児に集中できる期間は一週間になった。

夫を責めても仕方ない。それは分かっている。でも、涙とともに文句ばかりが口から出てきた。私がどんな思いで頭を下げ、病院に通ってきたか。やっと授かった我が子を、どんな思いで命懸けで産んだか。一年間休むことがキャリアに影響するのは私だって同じだ。一年間でどれだけの研修や経験を積めるか、職場に負担をかけるか。

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子育てで休むことに対して、私はまた悪いことをしていない頭を何度も下げた。そうしてやっと、社会から子育ての時間を勝ち取ったのだ。初めての育児への不安もある。夫と一緒に親として少しでも長く子どものそばにいたかった。同じように子育ての時間を共有したかった。でも世間にあるのは、形だけの制度と育児は女性が主体であるという変わらぬ空気。夫もまた、その中でもがいているのだと思う。でも、同じように闘って育児休暇を勝ち取ってきてほしかった。最初からあきらめずに闘ってほしかった。だって私は、いろんなものと闘ってきたんだもの。我慢してきたんだもの。…それが、私の本音だった。産後、限られた時間で精一杯育児をしてくれる夫に感謝はしている。でも心の中ではずっと引っ掛かっていた。

出産した周囲の友人たちは皆、パートナーは育児休暇を取得していなかったり、一、二週間だったりする。話を聞くと、皆「そんなもんだよ」「最初からあきらめてる」と割り切っていた。割り切れない私は、あきらめきれない私は、わがままなのだろうか。社会に受け入れられなかった「夫と一緒に育児をしたい」という思いは、どこへいけばいいのだろう。何度も泣く我が子を抱き上げながら部屋で一人泣いた。ここに、この時間に夫がいてくれたら。

社会は今日も何も変わらない。男性社会と戦うことに疲れて、そう思う日もある。でも、私のように思う女性がこの社会にはきっとたくさんいて、彼女たちが我慢できなくて声を発する時、社会は少しずつ変わっていくのだと思う。だから私は、せめて我慢できない自分の心を許したい。認めてあげたい。たとえ今日、女性としてのあたりまえに押しつぶされそうになっても。