"同棲"という言葉を聞くと、私は一番にオナラと排泄という問題が頭に浮かんでしまう。
"恋人と付き合う"というだけの行為は、自分の一番醜い姿を見せずに済ませることのできる、カッコつけた自分で居い続けられることの可能な行為だ。
だが、同棲となると全く別物だ。
生活を共にすることは、必然的に自分の醜い姿や生活の全てを曝け出すことになってしまう。これは私にとって大変恐ろしく、避けたいものであった。
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私はイライラする姿や、体調不良で弱り汚くなる姿や、暴飲暴食する姿、やる気がゼロのダラけた姿などを好きな人に絶対に見せたくないと思ってしまう。それは私のプライドの高さを意味しており、脳内がお花畑であることも意味しているのだろう。
自分の中の完璧な姿を、一番カッコつけた姿だけを恋人には見せていたいし見てほしい。
私がこのような考えに至っている原因は、母親の影響なのかもしれない。母親の、お風呂上がりに平気で全裸で家を歩く姿や、何の恥じらいもなくオナラをする姿に軽いトラウマを受けたのかもしれない。
私はそんな母親をある意味で軽蔑していたのだろう。私は絶対に女や恥を捨てたくはない、この女のような女にはなりたくはない、と無意識に思うようになっていたのだと思う。
だが、同棲をする私の友達や芸能人やYouTuberの話を聞くと、私のような意見を持つ者の方が世の中の少数派であることを知る。
男友達は私に言った。「ずっとカッコつけられる方が辛いけどな。心許されてないみたいで。俺は人間臭い所に可愛らしさを感じるタイプだから。何も引かないよ。尻かいて菓子食ってテレビ見てるのとか寧ろ好き」
1人でオナラをする開放的な瞬間が大好きだ。
この時間が奪われるのだと思うと私は恐怖でしかない。
1人で何も考えず排便ができる自由が大好きだ。
下痢をする不安を考えると私は同棲にわくわくできない。
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友達は言う。
「1回してしまえば慣れるよ」「最初だけよ。初めは私もそんな風に思ったけど今じゃ何も思わない」「子供産んだらそんなこと言ってられなくなるから安心しな」
でも、と私は思う。私は私が思う女を捨てたくはないのだと。
私がこんなくだらない事に考えを巡らせる理由は、自分を受け入れてもらえないであろうというネガティブな感情から来るものだろう。
そして、内容が内容なだけに、傷ついたら立ち直れないであろうという想像が私に防御を張らせる。
中高生の女の子のようだな、と自らを情けなく思う。だが、20歳を超えてもこの部分への私の"こだわり"という名の譲れないポイントは現在まで変わることはなかった。
「そんなんじゃ結婚できないよ?」
人は言う。だが、私は結婚をしたい訳ではない。ただ、お互いの関係に酔い、自己肯定感を高め合うことで気持ち良くなり、お花畑の中で生きていたいだけなのかもしれない。
可愛らしさの欠片もない生活感や慣れから生じるトキメキや刺激の排除を、私は酷く恐れている。
結婚をするために結婚という形態に順応した男を選びたくはない。自分の生活に支障のない、生活をする上で苦痛にならない、自分に利益のある人間を、選び抜く工程を私は楽しめない。
教科書にでも書いて欲しい。
好きな人の前でオナラをした時の正解のリアクションを。
好きな人がいる空間で排便をする時の正解の対応を。
私は好きであればあるほど同棲をしたくない。
私は数日のお泊まりでお腹がいっぱいだ。
私の中にある"オナラ排泄問題"はまだまだ解決しそうにない。