高校生の頃、私は自分の好きなものを周りに言えなかった。好きなものを公言するだけで、クラスでの自分の立ち位置が崩れてしまうかもしれない。そんな恐怖心を抱いていた。
絵を描いているだけで「オタク」「キモい」と陰口を叩かれていたクラスメイトを見て以来、絶対に自分の好きなものは人に知られてはならない。マイルドに無難に。とにかく自分を出さない。そうすれば、平和な学校生活が送れる。
そう信じ、それが私の処世術になっていた。

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とはいうものの、ずっと自分の好きなものを周りに言わなかったわけではない。
当時の私は、大好きなバンドに憧れてベースを弾いていた。それをどこからか聞いたのだろう。自分もギターを弾いているというクラスメイトが、私に話しかけてくれたのだ。
気さくで話しやすく、すぐに打ち解けた。その内、お互いに好きなバンドのCDを交換し合おうという話になった。

一瞬、不安がよぎった。受け入れてもらえるだろうか?
しかし、ここまで仲良くなれたのだ。だったら……。ドキドキしながら相手にCDを渡した。一緒に好きになってくれるかな?あの曲が入ったアルバムを渡せばよかったかな?ソワソワしながら、相手からの反応を待っていた。

翌日、彼女はたった一言、「なんていうか、すごいヴィジュアルだね」。
ショックだった。やっぱりダメなんだ。私の好きなものは受け入れてもらえない。ていうか、ヴィジュアルじゃなくて曲の感想を言えよ!
もう何があっても好きなものは絶対に他人に教えない。そう固く誓った。

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ますます他人に心を閉ざすようになった夏。演劇部に所属していた私は、市の劇場がやっている戯曲講座なるものに通うことになった。
私は、廃部寸前の軽音楽部の話を思いついた。廃部の原因は、部員の好きなバンドがマイナー過ぎて周りに受け入れてもらえない。そこに周りを振り回す主人公が入部して……といった話を書いた。

書き進めた私は、肝心のバンドをどうするかで悩んだ。自分の好きなバンドについて書いて、また白い目で見られたら……そう思うと筆が止まってしまった。
よし、なるべくマイルドにしよう。私は自分の好きなバンド名を伏せて、適当なバンドを当てはめて書き進めたのである。

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「これ、自分の好きなバンドじゃないっしょ」
コワモテのおじさんにバッサリ切り捨ててられてしまったのだった。私の嘘はあっさりと見破られていた。
まっすぐ私を見る視線が痛い。なんでバレた?ここから逃げ出したい。恥ずかしさと気まずさでいっぱいだった。

おじさんは頭に巻いたタオルをいじりながら、「作家になるんだったら、自分の気持ちに嘘をついちゃいけないよ」と諭すように言った。子供だからと馬鹿にせず、真剣に私と対峙しているのがわかった。

私が今までに出会ったことのない相手だった。その真剣さに驚きつつも、私も誠実に向き合いたくなったのだった。それで笑われたら仕方ない。真剣に向き合ってくれた相手のために、今度こそ本当に馬鹿正直な戯曲を提出した。
彼は「めっちゃ良いじゃん」と、口の端を右側だけ上げてニヤリと笑った。

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それ以来、何かにつけて彼との交流は続いていた。
思い返せばどんな時でも、私を助けてくれた。演劇科の大学に入学する際も、入試ギリギリまで小論文の添削をしてくれたり、戯曲の参考になる映画や音楽を教えてくれたのである。
私の夢は、いつの間にか彼と同じ作家になっていた。
彼と同じことをしたい。彼と同じ景色を見たい。憧れにも似たような感情を抱きながら、その一心で私は戯曲を書き続けていた。

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大学入学と同時に彼は、関西から東京へと行ってしまった。私も大学が忙しくなり、高校生の頃から続いていた交流は次第に途絶えてしまった。それでも私は、いつかまた彼に見てもらえるように戯曲を書き続けていた。

月日は流れ、私は今の夫と出会った。夫はどんなことに対しても寛容だ。私の音楽の趣味に関しても、変な目で見ることもない。いつしか心を許せる存在へと変わっていった。
夫と結婚しようと決めた年、東京へ行った彼が久しぶりに公演することになった。私と夫は、旅行がてら東京へ彼の公演を観に行くことにした。

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あの頃と変わらず、彼の舞台は自分の好きなものに正直だった。誠実に作られた舞台に私は静かに涙した。
公演終了後、話す機会があったので今の夫を紹介した。するとびっくりしたような嬉しそうな表情をしながらも、夫に向かって「こいつのこと、よろしくね」と頭を下げた。あの頃と変わらない口の端を右側だけ上げてニヤリと笑いながら。その瞬間、憧れに近いあの感情にようやく終止符を打てた気がした。

間違いなく彼は、私の恩人で私の青春だった。勝手に憧れて、追いつこうと必死だったあの頃。とても愛おしくて大切な私の思い出。その思い出を胸に、今日も私は書き続けていく。