私は人目も憚らず、大きく大きく手を振るの。
夫の車が見えなくなるまで。
それは私の癖になっていた。
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今年の3月に結婚した夫と私は、仕事上まだ別居生活をしている。そのため離れての生活だった。でも、夫は私のことを大事に思ってくれていて、夫が休みで私が仕事だと、送り迎えをしてくれるほどだった。
夫が今日も私を職場まで迎えに来て、私の家まで送ってくれる。別に仕事後に一緒に出かけるわけではなく、夫は私の送迎のためだけに、私の職場と私の家を行き来してくれるのだ。それだけのために来てくれる夫がたまらなく愛おしくて、夫の車が見えなくなるまでずっと手を振るの。そうすると、車の中で夫も手を振ってくれるの。それがまた可愛いらしい。
でも、本当はこうやって車が見えなくなるまで手を振るのは、別の理由があった。
私がまだ10代だった頃、一回り年上の彼と付き合っていた。その彼は私よりも経済力がなく、だらしない人だった。
でも、私はその人に恋をしていた。
真面目な自分とは正反対の、自由に生きる彼に魅力を感じていた。そして彼もまた、私に恋をしていた。彼はもともとタバコを吸う人だったが、「私とキスしたいなら、タバコはやめて!それでもタバコを吸いたいのなら、私、あなたとキスしないから」そういうと、彼はパタリとタバコを吸うのをやめたのだ。恋の力は偉大だった。性格や習慣も変えてしまうのだから。
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しかし、彼とは3年半ほどの付き合いで終止符を打った。
どこかで薄々感じてはいたが、正反対の生き方の彼とは、価値観が合わないことがあまりにも多かった。
倹約家の私とは違い、ギャンブルが好きで、パチンコでお金を使い切ってしまい、大学生の私にお金を貸せ!貸してくれないと餓死する!などと言う人だった。喧嘩をすると、馬鹿だの、何も出来ないくせにだの、言いたい放題言われて何度も泣いた。
送り続けた恋文を燃やすと紙袋で持ってこられた時は、涙が止まらなかった。
あの時はまだ自分も若く、心をかき乱され、ただただ怒ったり泣いたりだったが、あれから10年近く立つと、いろんなことを俯瞰して見れる。あれほど掻き乱された精神も、彼も私も幼かったなと、そんなこともあったなと、クスッと笑えるほどになっていた。
そう思えるのはきっと、彼も私も10年で大人になったからだ。
別れてから、彼はいつの間にか会社の経営をしていて社長になっていた。ギャンブルもやめ、親に月10万円ほどを仕送りするような人になっていた。別れてからすごい人になって……と少しモヤっとしたが、人の変化はいつどこで起きるかわからない。きっと別れたからこそ変われたところもあったのだろう。
そして別れてから彼がぽつりと言った。「わかにしてきたことや、言ってしまったこと、すごく後悔してる。でももう今さらどうしようもないから、その分、わかの幸せを心から願っている」と。照れ臭かったが嬉しかった。
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そういえば、彼と付き合った3年半、私はずっと彼の車が見えなくなるまで見送っていた。何故かって?彼は私とまたねの挨拶として、ブレーキランプを5回点滅させるんだもん。
「『ア・イ・シ・テ・ル』のサイン」
そのサインを見るまで、どうしても家に戻ることができなくて、ずっとずっと目で彼の車を追うのだ。彼の機嫌によってブレーキランプの点滅回数が違ったり、点滅しなかったりするのだが、5回点滅するのを見た時、明日も頑張ろうと思えた。
それから私はブレーキランプが5回点滅するのを、今でもどこか想像してしまう。
今は夫の車で、ブレーキランプを5回点滅させるところを見たことはない。当たり前だ。別の人なんだから。でも、代わりに夫は手を振ってくれる。
私はどのみち愛されている。その愛を今日もかみしめる。
いつか、私がおばあちゃんになった時に、ブレーキランプの話を笑いながらいろんな人にしたい。