「悪い女」と聞くと、ミステリアスでセクシー、そしてラブリーな女性を思い浮かべる。それはまるで峰不二子のような、それはまるでドロンジョ様のような、それはまるでドキンちゃんのような、悪い女。すぐに思いつくのはアニメのキャラクターばかり。物語に欠かせない重要な存在。可愛く儚げなヒロインよりも、私はいつも悪い女に強く惹かれる。
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それは何故なのか?答えは明白で、私自身が「良い子」を常に演じてきたからだ。もちろんそれは現在進行形で、「笑顔」という仮面の下に、ドス黒い感情をひた隠しにして毎日を生きている。私と彼女たちとの違いは、私はミステリアスでもセクシーでもラブリーでもないということ。彼女たちに魅力を感じてはいるが、私自身には魅力溢れる悪い女の素質はないということだ。やり場のない感情を抱えて生きているだけのただの女である。
だが彼女たちは違う。己の野望を公にし、どんな状況であろうと立ち向かい、失敗を恐れず、また挑戦していく。決して砕けることのない強い心。そんな彼女たちに憧れを感じるとともに、私はいつも思う。「彼女たちはいつ涙を流しているのだろう?」と。
物語に出てくる悪い女は、主人公の邪魔をし、憎まれることもある役柄である。それでも憎みきれないのはご愛嬌というものだろうが、彼女たちだって傷つかないはずがない。どんなに前向きに立ち向かっていたとしても、悲しくて涙がこぼれてしまう時が必ずあるはずだ。しかし作中にそのシーンはほとんど出てこない。その理由を私は「悪い女に涙は似合わないから」と勝手に思っている。悪い女が弱さを見せてしまったら、その時点で悪い女ではなくなってしまうから。純粋なヒロインを上回るほどの同情が、悪い女に集まってしまうから、と。
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悪い女に涙と同情は不要なのだ。たとえ辛くて悲しくても、それを人前で晒すことはない。主人公や仲間たちに助けられて成長するヒロイン。それに比べて悪い女は強かであり、強欲。自分の信念こそが揺るぎない正義。自己中心的で周りを巻き込んでいき、溢れ出る絶対的な自信は強さへと変わっていく。そんな女に私もなりたい。
周りに流されず、ニコニコして誤魔化すこともなく、自分の意思を明確にして周りに発信する。本当の自分を隠しながら「理解しなくてもいいから否定はしないで」と常にそう思っている。否定されるのが怖くて、周りの顔色をいつもうかがってしまう。そんな弱い自分。
どこかで「優等生よりも問題児の方が印象に残る」という言葉を耳にしたことがある。どれだけ頑張って良い子になっても、いずれみんなの記憶から消えてなくなってしまうくらいなら、私は少しくらい悪い女になりたい。人と群れるのは嫌いでも、人から忘れられるのはもっと嫌、なんて矛盾を誰が認めてくれるだろう。いや、悪い女になれば認めてもらえるかもしれない。認めさせてみせる、と言ったほうが正しいだろうか?
今日も私は悪い女に憧れを抱く。忘れることのできない魅力をもった、ミステリアスでセクシー、そしてラブリーな彼女たちに。