夢はない。大人になれればそれでいい。そんな淡白な子どもだった。幼稚園や小学校など、同じ歳の子たちと同じ箱に詰められると、嫌というほど「夢は何か。大人になったら何になりたいか」を考えさせられる。私は毎回、違うものを答えていた気がする。

こうして考えてみると、今回の「あの夢があったから」というテーマに、私の生き方はそぐわないかもしれない。夢という夢はなく、なんとなく大人になって幸せに、普通に幸せになっていればいいな、と小学校低学年の頃には思っていた。まったくもって面白みのない人間である。良く言えば、自他ともに認める超現実主義者。

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でも21歳になった今、思うことは、意外と子どもの頃よりやりたいことが明確になったということだ。確かに子どもの頃より、働くということがいかに自分に大きく影響を与えるか思い知ったし、お金がどれだけ人生や人格を左右するかも実感した。しかし、思った以上にできることも多い。

新卒入社した会社を半年で辞めたときは、「おいおい大丈夫か私」と自分で自分のことが心配になったが、転職したおかげで図書館司書を経験できた。司書はかつての変遷的な"私の夢"の中にも高確率で出てきていた職業で、ある意味夢を叶えたことになる。司書になるには高確率で資格が必須のため、"人生で一回くらい経験できたら御の字"くらいの感覚だった。大学在学中に成り行きで司書資格を取ったが、それがこんなに早く役立つなんて、と転職した当時はしみじみ思った。

極めつけは、司書の傍ら、こっそりと副業をしていたことだ。シール貼りや仕分けなどの軽作業バイト、試験監督、こうして執筆を書いて賞金をもらうこともあった(執筆に関しては今も継続中)。ぜんぶ夢なんて大袈裟ではないけれど、興味本位でやってみたかったことだ。面白かったものもつまらなかったものもあるが、本職の司書をやりつつ、裏でお金を稼いでいる背徳感は良かった。

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現在は割と大手の商社で営業事務をしているが、新卒入社した会社はルールも前例もない超ベンチャーで、転職して有名大学の教育機関で司書に、さらに転職して大手企業と、ギャップの大きい職歴をわずか一年で経験している。そろそろ行き当たりばったりの人生に疲れてきた。果たしてこれが私のなりたかった将来の姿かと聞かれれば微妙だが、当時の私に笑いながら話せるくらいには恥じることは何も無い。

夢がない?いいんじゃない、別に、何になりたいと思わなくてもなるようになってるよ。少なくとも、今のあんたは楽しくやってるよ。つって。
 遠い未来を思って夢を考えるより、今の自分の力量を考えて"実現できそうな"夢を考えるほうがよっぽど楽しい。だから焦らなくていいよ、若者よ。大人なんて、思っているよりみんな大人じゃないし。

今の私の夢は、死ぬときに「面白い人生だった」と言えることだ。うん、今のところ良い調子。もし今の営業事務を辞めるなんてことになったら、次はディズニーランドのキャストにでもなってみようか。