あの夢があったから。その先に言葉を続けられるのは、夢に向かって努力した自負がある者だけである。その夢が叶っていてもいなくても。何らかの形で夢を消化できた人だけが、すっきりした面持ちで言うことを許される言葉。あの夢があったから今の自分がいる、と。

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残念ながら私は、夢を消化できていない。ただ、物心ついた頃から抱いている夢が心の中に見え隠れして、時には人生の原動力となり時には片隅で埃をかぶって放置されている。今は放置の真っ最中で、ここ数年私の夢は様々な事情によってまるで初めから無かったかのように息を潜めている。このままでは駄目だ、という思いと、重すぎる夢に向き合うことの怖さ。怖さばかりで尻込みしていたここ数年を思えば、良い兆候かもしれない。ただ一つ、あの夢があったから〜なんて格好つけることだけは許されないと思っている。どんなに埃をかぶっていようと見ないふりをしていようと、それが自分の夢であり辿り着きたい場所だとどこかで認めている以上、まだ「あの夢」なんて言葉で封じ込めてはいけない。

だから私はまだ、「この夢があるから」と言いたい。細くか弱く、だがまだ決して消えることなく燃え続けている炎が、まだ過去の思い出にしないでと叫んでいる。あの夢があったからここまで来られた、といつか道の先で笑うために、まだ私は炎を消すわけにはいかないのだ。

誰だって心の中に叶わなかった夢の一つや二つあるだろう。それは幼稚園の頃に思い描いた将来の職業かもしれないし、全力で捧げても届かなかった恋心かもしれない。

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それでも人生の何処かで、「あの夢があったから」と思えればそれでいいのだ。そしてそう思える歩み方をできるかどうかもまた、自分次第。私はまだ夢を諦めていない。流されるままにこんな所に来てしまったけれど、まだ軌道修正できると、夢を叶えられると思い込んでいる、思うようにしている。理想の場所とは随分離れた所にいるけれど、生きていける時間が残されている限り、その夢を追うことをやめようとは思わない。

しかし、だ。「あの夢があったから」と言えたらいいけど、そんな日は一生来ないかもしれない。それならいっそ、死ぬ瞬間まで「私には夢がある」と思い続けたい。もしも「あの夢」なんて無理矢理名前を付けて過去に閉じ込めようとしているものがあるのなら、どうか引っ張り出してきて欲しい。現状維持のために生きられる人なんて稀である。種類や大きさは違えど、今よりももっとという思いを持って夢を追いかけ、1日1日を超えていく、それが生きる意味だ。

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あの夢があったから。今そう言えるなら、それはあなたが努力した証拠。私のように、まだそうは言いたくないと這いつくばるなら、それはあなたが明日からも生きようとしている証拠。

どうにもならない力によって夢から遠ざかっても、また夢に近づくための努力をできるのは他でもない自分だけなのだ。今は理不尽には目を瞑って、宙船の歌詞でも思い出すべき時である。