何かを好きになるとき、ひたすらそれに没頭するタイプだとは自覚していた。無心でレゴブロックを組み立てていたような子どもだ。マンガや音楽にハマるときもそう。同じ作品をひたすら摂取し、作者を調べ、情報に溺れる。集めた情報をもとに考察し、想像する。そうやって自分の時間を満たしながら大人になった。そうせずにはいられない衝動があった。

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腹の底から突き上げるような衝動はきっと「好き」という感情でしかない。傍から見れば異様なまでに、それは私を熱中させる。熱にも似たこの想いが怖くないのは、私をすてきなどこかへ連れて行ってくれるとわかっているからだ。

一番大きかった衝動は、大好きなテーマパーク付近への引越しだったと思う。当時、通勤経路や時間に支障があるわけではなかった。むしろ異動になれば遠回りにすらなる土地に引越ししたときは、我ながら気合いの入ったおたくだナアと感心したものである。

今、その土地は、私に新たな恵みを与えてくれている。
トラが好きだ。動物のトラの話である。何となく、トラの体つきがかっこいいなという念だけが、近年あった。きっかけこそ覚えていないが、某通信教育でトラのキャラクターにお世話になったのも、刷り込み的な影響はあるのかもしれない。

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そんなこんなで、生でトラを見てみたいと願いつつ、最近まで機会がないまま過ごしていた。この4月に、友人たちと動物園に行くまでは。

日曜の動物園は、やはりというべきか、親子連れが主役だった。木々や川を設置した小さなジャングルの中に、トラはいるらしい。ジャングルを囲む塀のうち、ガラス張りにされている箇所が複数あるものの、そこには子供たちの後頭部が殺到していた。加えて、みんなが指差す先を見る限り、トラはのんびりタイムのようだった。時折草木に紛れて、黄色いしっぽが揺れるのがかろうじて見て取れた。

なかなか顔を出さないトラに、しびれを切らせた子どもたちが移動していく。人の流れに押し出されて、私はガラスの前へと近づいた。そのときである。オレンジに近い色の獣が、ひらりと現れた。

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歩くたびに、毛皮の下で筋肉が動く。想像していたよりも意思のある動きで、尻尾が揺れる。他の獣の肉を食べて生きる命が、そこにいた。

おでこのあたりがキュッと開くような感覚が、私を襲っていた。美術館でよくなる感覚だ。すごく綺麗なものを見たときの、感動。

運命じゃん。
ネコ科らしい気まぐれで、トラはすぐに姿を消した。私はぼんやりとしたまま、友人たちと共にトラのスペースを離れた。気づけばスマホの待ち受けを、その日撮ったトラの写真が飾っていた。

ハマった自覚があれば、私の行動は速い。またトラに会わねばならぬ、と静かに決意した。それもできればゆっくり、できるだけ家から近いところで。運動不足のアラサーにとって、動物園の思わぬ広さと傾斜は大きな敵だった。

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ありがたいことに、手元には文明の利器がある。スマホいわく、トラの3種類のうち今日会えたのは一番小さい種で、また別の種が自宅近くの動物園にいるとのことだった。電車で数駅なんて、熱くなった私の前では無に等しい距離だ。数日後、私は存分にアムールトラを眺めていた。そしてその翌日も。

かつて、好きなものに釣られて移り住んだ場所。その土地はまた新たに、私が「好き」なことに向かいやすい環境を作ってくれている。大げさな話だけれど、私の魂に向いている場所なのだろうなと、思う。きっとこれからも、私の抱える「好き」の衝動に付き合ってくれることだろう。
それにしても、動物園の年パスって3,000円しないんだね。