今や、アフターコロナと言われる時代になりました。学生生活の大半をオンラインで過ごされた方や勤務スタイルが大きく変化した方も少なくないのではないかと思います。私も、コロナのせいで仕事を失った人のひとりです。

私は当時、南太平洋に浮かぶ途上国の島国で暮らしていました。医療体制があまり充実しておらず、首都の国立病院でもオープンエアな造りで、廊下やベランダのようなところにもベッドが置かれており、入院患者さんが寝ているような様子でした。

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世界や日本のニュースに注目することもなく、のんびりと南の島暮らしに浸っていた私はコロナのニュースを初めて耳にしたのは2020年3月初旬のことでした。「アジアから強いウイルスが世界に広まっているらしいじゃないか、お前の家族は大丈夫か?」と職場の同僚に聞かれました。その頃はまだ、私が住んでいた国では感染者は確認されておらず、どこか他人事のような雰囲気でした。それでも、なんとなくアジア人だからという理由でタクシーの乗車を拒否されたり、スーパーのレジで嫌な顔をされるようになったりしていました。

3月中旬過ぎ、ついに私にも東京本部から緊急帰国の準備の指示と職場への出勤停止の命令が下りました。住んでいた国の医療体制が脆弱なことや、様々な国で急に国境を封鎖する措置を取り始めていることが由来して、島に閉じ込められ帰れなくなる前に帰国しろと言うのです。本部が意図することはよく分かります。私たち日本人の安全を一番に考えて守ってくれているのでしょう。しかし、現地の人々と共に働き、多くの時間を共有していた私はどうしても納得することができませんでした。

とりあえずは指示を受け入れ、職場にはいかず、「急に外出禁止措置が取られるかもしれないから食糧を買い込んでおきなさい」という同僚からのアドバイスを参考に買い出しに向かいました。トイレットペーパーや缶詰め、パスタの棚はほとんど空に近い状態で、通常10分もあればほしいものを買って退店できるはずが、レジの長蛇の列のおかげで買い物に2時間もかかってしまうほど小さなスーパーは大混雑、大混乱でした。それまではコロナなんて私には関係ないことで、こんな小さな国にそんなウイルスが到達できるわけがないと悠長に構えていましたが、意外と危機は身近に迫っているのかもしれないと言い知れぬ恐怖を感じたのは間違いありません。

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その翌日、「明日の早朝のフライトで日本に向けて出国する」という連絡がきました。いつ帰ってこられるかは未定のため自宅の清掃・片づけを徹底するようにとの指示で、依然として職場にはいかないようにという申し付けは変わりませんでした。「明日の早朝に出国」で「いつ帰ってこられるかは未定」なら、なおさら今日職場に行かなければ同僚には二度と会えないかもしれないと思い、急いで職場に向かいました。本来なら「仕方のないこと」だと割り切って、自宅で片づけをするべきだったのでしょう。でも私は我慢することはできませんでした。

しかし、職場に着いて同僚に明日帰国することになった旨を伝えたところ「日本の方が安全だから帰った方が良い。自分たちも日本に連れて行ってほしい」というようなことを言われてしまいました。私は同僚たちを見捨てて自分だけ安全な場所に避難することを本当に心苦しく思いました。

もしかしたら同僚たちも私のことをコイツだけ安全な場所に行きやがってと思っていたかもしれません。でも私は自宅の中の持てるだけの食糧を持って、同僚に会いに行ったことを後悔していません。

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その後、その国も一度はパンデミックに陥り、多くの死者をだしましたが、私の同僚たちは今も元気に暮らしています。今でも頻繁に連絡を取り合い、たまに私が血相を変えて職場に来た3月19日のことを思い出しては笑ってくれているようです。2020年3月20日の朝に出国して以来、その国にはまだ戻れていません。明日からもあるはずだと思っていた南の島での毎日に、急に終止符が打たれました。「明日死んでもいい人生を」と思えるようになったのは、この経験があったからなのかもしれません。