17歳の秋。地元の本屋で小説のタイトルを読み歩いていると、1冊の本が目に留まった。

『人のセックスを笑うな』

インパクトのある言葉に少々たじろぎつつも興味に負け、本棚に手を伸ばした。映画化された作品で、表紙には松山ケンイチさんと永作博美さんのカバー写真が印刷されていた。何を気にすることもないのだが、ドキドキしながらレジに向かった。

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物語の主人公は磯貝みるめ、19歳。美術専門学校に通う男子学生だ。学校の講師“ユリちゃん”こと猪熊サユリ、39歳と恋に落ちる。 みるめとユリちゃんの年齢差は20歳。オマケにユリちゃんは既婚者だ。

100ページほどのラブストーリーを、ほんの1時間ちょっとで読み終えた。刺激的なタイトルとは裏腹に、淡々と描かれる2人の恋模様がどこかリアルで、こんな恋がいつか私にも訪れるかもしれないという、ささやかな高揚感が胸の真ん中に残った。そして、主人公のみるめと同様、ユリちゃんに心を奪われ、彼女の沼から動けなくなっている自分がいた。

男子学生を魅了する39歳の女性というと、世間一般ではどんな女性をイメージするだろう。外見は艶のある肌や髪、程よく引き締まった身体。仕草で言えば、 丁寧な動作に品性のある話し方、大人の余裕を持った女性といったところだろうか。

ところが、ユリちゃんはその反対を行く。 手入れのされていない髪に、かさかさの肌。 化粧っ気もなく、お腹は少しぽっちゃりしている。 料理も掃除も不得意で、連絡もマメではない。 自分に自信がなく、年齢のわりに頼りない面を持つ女性として描かれている。

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それでも、天真爛漫で愛情表現が上手なユリちゃんに屈託のない笑顔を向けられたら、一瞬で心を鷲掴みにされる。映画では、ユリちゃんを永作博美さんが演じた。その姿や振る舞いは、本を読みながら頭の中でイメージしたユリちゃんそのままだった。

映画の中で最も好きなのが、ユリちゃんが朝帰りをするシーンだ。朝7時過ぎ、家に帰ってきたユリちゃんは、夫がいるであろう部屋に「ただいまー」と声を掛けた。まだ薄暗い部屋の中でおもむろに服を脱ぎ捨て、ラジオから流れてくる歌を口ずさみながら気怠げに煙草をふかした。朝帰りを何とも思っていないような堂々とした態度で煙をくゆらすユリちゃんからは、唯一無二の色気が漂う。 みるめと向かい合っているときの無邪気な表情とは打って変わって出てきた大人の女性の横顔は、ため息が出るほど美しかった。私は心の中で 「降参」とつぶやいた。

永作博美さんは美しいが、作中のユリちゃんは、目を引く美人でもなければ、セクシーなわけでもない。けれど、みるめとの距離を詰めるのが上手かった。みるめに夫のことを話すときもけろっとしており、何を考えているか分からないミステリアスな雰囲気をまとっていた。いつも自然体で肩の力が抜けている。ちょっと頑張ればできることも「できないからお願い」と頼り、みるめに “甘やかしてあげている” という自負心を与えた。 必要とされていると思わせる行動をとっておきながら、コミュニケーションは自分都合。ユリちゃんが寂しいときはみるめに電話をするが、みるめからの連絡に応えるかは気分次第だ。

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一見、計算尽くしの行動にも思えるが、ユリちゃんは無意識にみるめを魅了しているようだった。掴みどころのないユリちゃんとの恋愛に、みるめ自身、恋なのか、愛なのか、はたまた執着なのか分からなくなっていた。そのくらい、ユリちゃんに夢中になっていた。私は、これが俗に言う“魔性の女”なのだと知った。

当時は17歳。魔性の女が何なのかも分からなかったが、この本でユリちゃんと出合い、一人の女性としてユリちゃんの振る舞いに魅了された。2人のような倫理に反した恋愛は肯定できない。だが、ユリちゃんのように人を惹きつける女性像に憧れを抱いた。

物語ではユリちゃんの心が少しずつ離れていき、2人の関係は消滅する。もしも私がみるめだとしたら、ユリちゃんのことを死ぬまで忘れないと思う。というか、忘れられるわけがない。 ユリちゃんに告白された時の空気、アトリエで身体を重ねた時の熱、自分だけに向けられた可愛らしい笑いじわ。二度と会うことがなくても、 骨抜きにされた彼女との記憶は残り続ける。

他人からみれば、みるめとユリちゃんの恋愛は、既婚の先生と生徒の火遊びの恋と映るだろう。けれど、2人の恋のことは2人にしか分からない。何せこの作品の副題は 『Don't laugh at my romance』。ハッピーエンドでなくても、2人だけの幸せな瞬間は美しく、尊いのだ。