「この人と結婚出来ないかもしれない」そう感じたのは結婚式の1ヶ月前。
1年の同棲をしてきたけれど、人生を共に歩めるか不安になってしまった。
マリッジブルーだと思い込んで進んだものの、結婚式後もその不安は拭いきれず、半年と経たないうちに離婚という運びになった。

かつての自分を思い出す、隣の会話。かつて私も家庭に夢を見ていた

「え〜!〇〇ちゃん、結婚したら勝ち組じゃ〜ん」「いいなぁ。私も結婚したいな〜」

そんな会話が休日の小洒落たカフェに響く。若い女性同士たちのランチ会。社会に出て間もないフレッシュさをどことなく感じた。

「あぁ私も歳を取ってしまったのかな」

スピード離婚を経験しているこの私がすぐ隣にいるなんて、きっとこの子たちに想像できるわけがない。
なんとなく耳をそばだててしまったと同時に、ふと疑問を抱いてしまった。

「なぜ人は【結婚】を人生の幸せと考えるのか」

好きな人ができて、彼氏彼女になって「この人と結婚したい」と思える事は、自然な事であり素晴らしい事だと思う。
必ずしも結婚をすぐ考えがちなのは女性だけではないとは思いつつも、人生の中で出産を望む女性は多いはず。
だからなのか結婚願望が強いのは、女性の方が多い気がしてならない(これはあくまで私の感じ方だけど)。

現に私もかつては結婚をして、子供を産んで幸せな家庭を夢に見ていた人間だ。

一人歩きする結婚の意味。人間が頭で恋愛し始めたのはいつからだろう

「結婚したら仕事を辞めたい」
「高身長と結婚がしたい」
「婚約指輪はハリーウィンストン」

人間が頭で恋愛するようになったのはいつからだろうか。
文明社会の発展は、人々にあらゆる手段や情報を与えて、心の成長を促し、少々面倒くさい生き物にしてしまったとつくづく感じる。

だって最近なんてSNSを開けば、誰も聞いてないのに事細かにプロポーズの様子が書かれていて、婚姻届の上には3つの指輪が綺麗に並んでいる。
大きなバラの花束と共に映るのは、薬指がキラリと光った左手と加工アプリで撮られた自分の写真。
それを「素敵すぎる」と本心で思ってしまっていた私の心と、いいね!のハートマーク。

いつの間にか「ハイスペ男子」や「最強カップル」など、目に見える部分だけを切り取った造語や「結婚」の意味を指す「ゴールイン」「寿退社」などの言葉が一人歩き。
挙句の果てに「結婚」=「ステータス」みたいな認識になってしまった事実が、これでもかというほど世間には蔓延っている。

人間はつくづく愚かであると思うと同時に、人生を相手に委ねようとしてしまいがちな弱い生き物である。
必ずしも「結婚」=「幸せ」とは限らない事をかつての私にも、隣の女子たちにも大きな声で叫んでやりたい。

2文字にまとめられた「結婚」は、「幸せ」にフォーカスし過ぎている

世の中の独身女子の全員が、結婚に憧れを抱いてるとは思わないけれど、少なくとも私の知っている世間や20代前半の頃は、いわゆる社会ピヨピヨ期。
生き方の正解はないけれど、ただなんとなく「結婚」や「パートナー」に縋って、社会をもがくしか選択肢がなかったのかもしれない(もちろん当時の私もね)。

結婚によって相手との暮らしに幸せを感じられたら、それほど幸運な事はないし、誰かと人生と歩む事には、本当に多くの意味があったと、短い結婚生活の中でも感じている。
だけど「相手を愛する」という事に、高価なダイヤも、豪華すぎるプロポーズも、花や指輪も全く必要はない。
「結婚生活」とは極めて現実的で、泥臭い日々で、互いの努力を必要とするものだ。
予期せぬ事態や、耐えられない不満は誰しも経験するだろうし、ここだけは譲り合えない「価値観」はみんな絶対に持ち合わせていると思う。
そこの擦り合わせや、認め合いが出来る事で、初めてお互いの尊重に繋がる。

簡単に2文字にまとめられた「結婚」は、「幸せ」にフォーカスし過ぎていると思う。

マイナスな事ばかりではないけれど、ここには書ききれないほどの、あらゆる困難や出来事の連続だ。

だからこそ最も大切な事は

「相手に自分の人生を委ねない事」
「自分の人生を歩む義務を忘れない事」

結婚はゴールではなくて、自分の人生の通過点にある目印みたいなもの。
「幸せな結婚生活」なんて夢物語を描く前に、自分が好きな自分を確立し、自分をとことん愛する必要がある。
そしてその自分の事を、愛してくれる人を探すように。
一生懸命に自分の人生を生きる事で、あなたに相応しい未来が絶対に待ってるから。