人生最悪の日を思い浮かべる、それは人それぞれだと思う。

私の場合、離婚して一人暮らしの、娘しか生きる意味がない（と本人は思っている）父親に結婚と出産を事後報告する瞬間である。
ここで大事なのは、事後報告なのだ。
まさか22歳の愛娘が風呂屋の息子と学生結婚し、現在子育て奮闘中だなんて、夢にも思わない（思いたくない）だろう。

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妊娠発覚時にさっと報告するのがいいとはわかっていたが、どうしてもできなかった。
離婚した母親の彼氏のストーカーをしたり、娘のインスタを勝手に見つけ彼氏の品定めをLINEで送ってきたり、酔っぱらって人に電話をかけまくるヤバいおじさんに伝える勇気はなかったのだ。

「今でなければ墓まで持っていくしかない」

そうして決心したのは報告の２週間前。
戦略なしに乗り込むほどの度胸は持ち合わせていないので、まず父方の親戚から固めていくことにした。
父の信頼が厚い叔母さまに趣旨を伝え、発表の場を設けてもらった。

当日の朝、腹痛で目が覚めた。夜泣きで寝不足の浮腫んだ目を擦りながらトイレに駆け込む。腹を下していた。こんなに自分がデリケートだったのかと思うと不甲斐なかった。
授乳をした後、身支度をして、おむつとお尻ふき、予備のお着替え、授乳クッション諸々と、ポンカンとバナナを持って車に乗り込み現場へ向かう。
旦那は運転をしながら横でもしゃもしゃバナナを食べる。
厄介だ。相手を知らないから呑気でいられるのだ。
私は到底そんな余裕はない、道中の2時間。前屈みでお腹をさすり自分を労る。

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現場に到着。私は恐る恐る親戚の輪に近づいた。
父親は左手に座って、ゆっくりと頭をもたげてこちらを見る。
「私、2ヶ月前に子どもを産みました」
父の眉間の皺が深くなり、ガクンと頭を落とした。
「サイアクだ…」「何で言わないぃ。順番ってものがあるだろおお？」
私はすいません…と言い頭を下げた。数年前に話題になった野々村元議員を彷彿とさせる限界男泣きフェイスを震わせた父の顔を見ると申し訳ない気持ちになってくる。
親戚が間に入ってくれる。父はふらふら立ち上がってぐるりと時計回りで歩くとまた腰からドスンと落ちた。埒が明かないので旦那と子どもを呼ぶ。
孫の顔を見ると父の顔から生気が抜けていった。
なるほど人間も空気が抜けるのだな、風船みたいに。と思った。
「初めまして、〇〇です」旦那の自己紹介にも上の空だった。

そのまま気の抜けた風船おじさんとランチを食べる。
「仕事は…？」「いつから付き合っていたんだ？」徒然と続く質問。
味わう余裕もなく、目の前の“特撰すき焼きセット”を流し込む。
すきっ腹と牛すきの相性はサイアクだ。さらにそこへ寝不足とストレスが追い討ちをかける。胸焼けが止まらず、肉の匂いだけで涙が出そうになった。

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ランチ後、駐車場で別れの挨拶をした。
親戚中（父親を除く）祝福ムードで見送ってくれた。ただ、私の体調はサイアクだった。
帰りの車内、前傾姿勢で何とか持ちこたえようとする。
「ダメだ・・・ビニール袋とお水買ってきて、２リットル」
３円のビニール袋を二つ重ねて口元にセットする。
出発から30分後。池袋に差し掛かったその時、

「オロ、オロロロロ！！」
消化途中の特撰すき焼きセットがそのまま逆流した。

頭を上げてごくんごくんと水を飲み切る。
「だ、大丈夫？」と旦那が心配してくれた。
「ああ、スッキリした」
溜め込んでいた不安、罪悪感、ストレス。全てすき焼きと一緒に丸ごと流れた。
「ああ、せっかく良いご飯食べたのに。全部出しちゃった」
「あんなに勢いよく人が吐いているのを初めて見たよ」

へへっと言いながら窓を全開にすると風を感じながら目を閉じた。