「そう。それは大丈夫なんだけど〜……。けど……。けど……。いや、今はやめとこうか……」
珍しく言いよどむ彼に思わず抱きつく。

遠距離恋愛ではあるが、彼と交際して、もうすぐ4年になる。そんな私たちのデートは、お互いの居住地を行き来しデートをするというより、別の場所へ現地集合し、旅行デートをすることが殆どだった。

2泊3日の今回の旅行は、落ち着いたもののまだ長引く新型コロナウイルス感染拡大やお互いの都合もあって1年ぶりの彼との再会だった。旅行先は、私がテレビで特集を観て以来、コロナ禍が落ち着いたら行きたいとずっと楽しみにしていた場所だった。

◎          ◎

2日目の夜。
セミダブルのベッドの上。
2人寝っ転がって、彼のスマートフォンで動画を見ながら、夕飯に食べたステーキの味や、明日のホテルの朝食ビュッフェ、明日の目的地について話していた時、私は彼のスマートフォンにマッチングアプリのアイコンを見つけてしまった。

私は、こっそり彼氏の携帯を見るなど、自ら浮気を探しにいくタイプでは無い。怪しいな〜と思っていても、証拠探しはしない。
だが、今回のソレは見つけてしまったのだ。見つけてしまったからには、見ないふりはできない。

たとえ「浮気をしている」と彼からカミングアウトされても、そこまでショックは受けない。そんなものだと遠距離恋愛になる前に覚悟していた。覚悟を決めて、私は彼と別れないという選択肢を取ったのだ。
「ごめんね。マッチングアプリのアイコンが見えちゃって、気になるんだけど……」
彼は少しびっくりした顔をしたが、冷静だった。
「ああ。これね。これ、フィー子と付き合う前のやつだよ、見る?」
「いや、別に疑ってないよ。そう言うなら信じるし」

顔の前に突き出された画面を何が何でも目に入れない理由も別に無いので、見てみると、トークの履歴は全て5、6年前のもの。
もしかしたらトーク履歴って消去できるのかもしれないけれど、この旅行に備えて直近の履歴を消すより、アプリ自体を消すかもっと隠すかするだろう。

「分かった!じゃあ大丈夫だね。さっきまで何の話してたっけ?話戻そう」
「そう。それは大丈夫なんだけど〜……」

◎          ◎

ここでこのエッセイの冒頭に戻る。
「けど」って何だ。「けど」って。やめて欲しい。
「今はやめとこうか……。でも、先延ばしにしても意味無いか」と彼。
「……うん。そうだよ。先延ばしにしても意味無いよ。分かんないけど」と私。
私の声が、真っ直ぐ私に届く。私が私に言ったわけじゃないのに、いつになく、真っ直ぐ確かに、私に向かってきた。
分かんなくはない。確実に悪い話だ。
旅行前、遂にプロポーズされるかもしれないと笑いながら「寂しいね」と呟いた母と、「結婚前に彼氏、絶対会わせてね。審査するから」と言っていた親友の顔が浮かぶ。
彼が大きく息を吐いて、話し出す。
幕が開ける。私達2人の終わりの幕が。

「付き合う前さ、社会人になったばかりのフィー子は自分の悪いところいくつか言ってたじゃん…」
「うん…」

結論を言うと、彼は結婚適齢期の私と結婚をせず付き合い続けることへの重圧から、別れた方がお互いのために良いとかなんとか言って、逃れたいらしい。

「もう4年になるのだから、結婚すればよいではないか?」
皆さんの頭にはそんな問いが浮かんだのではないだろうか。
ここ2、3年のうちに、私と結婚する気はないのだそうだ。
遠距離恋愛の末の結婚となるため、私に仕事を辞めさせ、呼び寄せることへの申し訳なさもある。何より、私の「周りを見て行動ができないところ」が嫌で、結婚を考えられないらしい。

確かに、それは付き合う前に彼にも相談した私の悪いところの1つである。

「この4年間でフィー子も成長していて、いくつか悪いところは直ってきてると思うんだよ。でもね、今日とかも写真撮影してる人の邪魔になっちゃってたりとか、周り見えてないなって思う...…」

「じゃあ、そう言ってよ……!」

驚きと呆れと悲しみが心の底から湧き上がってきた。4年間、彼は一度だって私のそういうところが嫌だなんて言わなかった。

◎          ◎

勿論、「邪魔になってるよ」と彼に言われたことはあるかもしれないが、そこですぐ避けて謝り、彼にお礼を言う。そういうことによく気がつくのは彼の長所で、私の短所を補ってくれている。良いカップルだ、と思っていたよ。私は。

「このままだと、俺、フィー子に強く言ってしまいそうで……。それにフィー子には俺の知らない悪いところがまだあるかもしれないし」

「そういうもんじゃん、カップルは!」

「我慢ならないくらいの嫌なところがあれば言って、喧嘩すれば良かったじゃん。結婚してから分かった悪いところも、お互い直そうとしたり、認め合ったり、そういうものなんじゃないの?」

彼は何にも分かっていなかった。この4年間。
あなただって、いっぱいあるよ。嫌なところ。
でも全部思い出せないよ。
全部、あなたのことが好きな気持ちと、同じくらいいっぱいある長所で掻き消して、それでも足りない時は過去のLINEのやりとりを見返して、許してきたんだよ。

彼はこの別れ話を、1年前の旅行で言いそびれたまま、ずっと温めていたらしい。
そのことも、ショックだった。
一晩中眠ることなく泣き続けた。ホテルのティッシュは予備も全て使い果たしたし、何度も呼吸が苦しくなった。

3日目のホテルの朝食ビュッフェは食べられなかった。楽しみにしていた水族館でもずっと泣いた。目はパンパンに腫れていたし、ずっと体調が悪かった。
旅行のために、スキンケアやエステに力を入れたあの努力が台無しである。
私史上、最悪の日である。

それなのに私は、彼の「別れてもLINEを続けよう」「また旅行に行こう」「何年か先にお互い気持ちがあったら結婚を前提にまた付き合おう」を受け入れようとしている。