2019年 12月31日、私は韓国にいた。
家族と旅行に来ていたのだ。
けれど、私は一足先に日本へ帰る。
当時付き合っていた人と年越しするためだ。

家族が、韓国の年越しはどんな感じかなぁ?と話しているのを横目に、ひとりで空港行きの特急に乗る。
「私が最後に家族と年越ししたのはいつだっただろうか?付き合ってる人がいたら、大事な日はその人と過ごした方がいいよね……」
びゅんびゅん流れていく景色を眺めながら、自問自答をしたけれど、だんだんどうでもよくなって考えるのをやめた。

◎          ◎

韓国から日本へのフライトはあっと言う間だ。
日本に着いたら、空港の近くにある実家で小休憩して静岡に向かう。
当時付き合っていた人は、静岡にいた。相手がサービス業だから、私が相手の場所に合わせる他ない。なんてタフな移動をしてたのだろうと、今は思う。

「さっき実家着いた。今からそっち行く」
「年越しそばもしたい!材料買っておける?」

相手は勤務中だからなかなか既読がつかないけれど、私は年越しにあたってしたいことを送っていた。気分は少しルンルンだ。

◎          ◎

私が相手の家に着いたのは、夜の20時頃。
いつも相手の仕事あがりが21時頃なので、待つことにした。
けれどもなかなか帰ってこない。連絡もない。ご飯の用意も相手に頼んでいるから、空腹で待つしかない。心にだんだん雲がかかってくる。
23時頃「ごめんもうすぐ帰る」と連絡があった。
今からご飯を食べてもまだ年越しに間に合う!待とう!
帰ってこないまま23時半を過ぎた頃、私はもはや呆れと怒りでぼーっとしていた。
23時50分頃、相手は帰ってきた。

「おかえり」も言えなかった。私は相手の方を見ずに黙ってぼーっとしていた。
帰ってくるなり、私の近くに座って「ごめん」と言った。
聞けば、勤務先の先輩が一人暮らしをしているため、大晦日にひとりにするのが悪いと思ってぎりぎりまで話していたらしかった。
え?こっちは一緒に過ごすためにわざわざ韓国から帰ってきたって知ってるよね?
もう本当に呆れて、涙がぽたぽた落ちてきた。
相手は何度目かわからない「ごめん」を言って私の手をぎゅっと握った。
私には返す言葉がなくて、その場には沈黙が生まれた。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ。
12時に鳴る腕時計が年越しを知らせる。

「こんな年越しってあるかよ……」
心の中でそう思った。涙は止まらない。
「こんなことになるなら、韓国にいたらよかった……」
部屋には腕時計と私が泣きじゃくる音だけが存在していた。

◎          ◎

この日は、人生史上最悪の年越しだった。
私も相手も、あけましておめでとうを言えたのは午前2時頃だったと思う。
なんだかんだ和解して、真夜中に近所の神社へ初詣に行った。
私の空腹に流れ込んできたのは、地元のおっちゃんたちが頑張って作った甘酒だった。

こんな最悪な日、忘れてしまえばいいのにと思うけれど、たまに思い出して「はぁ」と溜め息つくのが人間なんだろうな。

このことを家族に話していない。友達にも。
話せば家族には韓国に残ればよかったのにと言われそうだし、自分が惨めな気持ちになるのもわかっているので、今まで誰にも言ったことがなかったのだ。
今でも時折思い出して「韓国にいればよかった」なんてどうしようもないことを思う。
それくらい後悔してるけど、今となっては前向きに思うことがある。
大事な日を付き合ってる人と過ごさなきゃいけない、なんて思わなくていい。

私にとって「付き合ってる人優先主義」は、自分の豊さと人間関係を時に歪ませてしまう。
誕生日だろうと、クリスマスだろうと、年越しだろうと、自分が心から過ごしたいと思う人と素直に過ごせばいい。
それがわかったのも、あの年越しがあったから。
もしこれから、似たような選択を迫られた時には、きっとあの時学んだことがいきる。