「あぁ、私もいつの間にか只の人になっていたな」。二十歳を迎えたときに私はこう思っていた。『十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人』という言葉は本当だったと身をもって実感した。
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只の人になってしまった私だが、十五の頃は才子だと自分で思っていた。なぜなら、中学時代のめりこんだ表現の世界でたくさんの賞をいただいていたからだ。絵画コンクールの表彰状はどれがどの作品のものかわからないペースで私のもとに届いていたし、写真の大きなコンクールでも賞をいただいていた。今の私から見ても、まぎれもなく才子だったと思う。
「そんな才子は将来何になりたかったのだろう?」と、只の人はふと考えた。まるで、国語の「登場人物の心情を答えよ」という問題のようだった。何度も似たような問題を解いてきたが、この問いの答えはなかなか出てこなかった。只の人にはこの問題は難しすぎる。普通に考えれば、芸術家やカメラマンあたりだろうか。只の人は当時を振り返ってみたがしっくり来ていない。果たして何だったのだろうか…。少し過去を振り返ることとしよう。
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十五の才子はこの質問が苦手だった。「あなたの将来の夢は?」と聞かれるたび困った顔をしていた。絶対かなえたい夢やなりたい職業など、心の隅から隅まで探しても見当たらなかった。もしあったとしても、「向いてない」、「現実を見たほうがいい」と大人たちに言われる。その言葉を押し切ってまでかなえたい夢がなかった。
期日までに無難な答えを決めなくてはならないから、周りの人たちの将来の夢に合わせて答えていた。だから、才子は探し求めていたのだ。誰からも認められる自分にしかない才能を。将来の夢の答えが見つかるような才能を。このころの私は、きっと何者かになりたくて藻掻いていた。それが答えだ。
そんな才子が二十歳の私を見たら呆れるだろう。只の人になってしまったのだから。大学の課題とアルバイトに追われる日々。たまの休日には、ソシャゲとyoutubeを眺めて1日が終わる。ごく普通の、ごく一般的な、どこにでもいる大学生になっているのだから。
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大学生になった私は、大人になったのだと思う。嫌なものは目に入れないし、聞きたくないことには耳をふさぐ。見て見ぬ振りも、臭い物に蓋をすることも上手になった。するとどうだろうか。十五の時にいつも心の中にあった、不平不満が見事になくなった。平和ボケした心は何かを表現したいという衝動を失った。衝動を失ってからはあっという間。気づけば只の人になっていた。
そして、冒頭に戻る。「あぁ、私もいつの間にか只の人になっていたな」と実感した瞬間、平和ボケした心にサイレンの音が鳴り響いたのだ。心が叫びだした。「只の人になりたくない」、「何者かになりたい」、「才子を殺したくない」と。この緊急警報により、平和ボケした心は表現したいという衝動を取り戻した。私は心の平和よりも、表現者であることを選ぶと決めた。
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そして、私はエッセイを綴ることにした。この心のサイレンを誰かに伝えたくて。何者かになりたくて。只の人になりたくなくって。そして二十歳の衝動から、2年。書くことをやめず、表現をやめず、今に至る。
書き続けたものの、私はまだ何者にもなれていない。どこにでもいる、普通のエッセイスト。消費される作品を書いている。このエッセイを読んだ次の日には書いた人のことなんて忘れている人が大半だろう。それでも、私は書き続ける。今日このエッセイを読んでくれる人が、明日このエッセイを読んでくれる人が、誰か1人でも私のことを覚えていてくれる人がいると信じて。二十二の私も、十五の才子と同じように、何者かになりたくて藻掻いている。