私は服に生きている。いいや、服に生かされている。全てが敵に見えて、上手く希望を見いだせなかったとき、服は唯一無二の絶対的な味方として私に寄り添ってくれた。服は私を裏切らない。求めれば、どんなときも、変幻自在なラインで、隣にいてくれる。

大好きな古着屋さんでは、何度か「運命だ」と思う出会いを果たした。私の心が求めていたものがそこにあり、身体にぴったり合うサイズ感のものは、運命だ。私の理想が具現化した、私のためにそこに来てくれたものだ。

何度も服に恋をした。服に関しては、ポリアモリーだ。同時期に、複数の服に恋をする。でも、服はそれを許してくれる。服と服を組みあわせて、服の新しい一面を輝かせるのが大好きだ。私の恋した服同士が、互いに着飾り合うのを、その中心から見守るのが幸せだ。

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私はこの前の2月と3月に、休職した。お給料が入ってこなくなった。そのくせ、以前より服を買った。3月末、友達と遊びに行った原宿の古着屋で出会った、紫と白のギンガムチェックのシースルースカート。シースルーアイテムは他のアイテムの上に重ねて着ると、違う味を出してくれる。私はレイヤードスタイリングが大好きだから、手持ちのあのワンピースに合わせよう、あのスカートに重ね着してみよう、と、想像が止まらなかった。

そして、原宿から帰ろうと歩いていたときに出会ってしまった、これまた紫のデニムシャツ。メンズサイズで、ジャケットのように羽織ることができる。ガーリーなアイテムを多く持っている私のワードローブにおいて、このアイテムは、色彩のインパクトを持ちつつ、コーディネートを硬めに引き締めてくれる。

ああ、今日も出会いが止まらなかった。と思う、帰りの電車内。出会いを止めることも、出会ってしまった呼び声を置き去ることもできなかった。

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どうか4月は出会いませんように…という3月末の私の祈りは虚しく、卯月早々、出会ってしまった。いや、出会いに行った。本当に欲しくなければ、服が沢山置いてある場所になんて行かない。絶対に好きなものが見つかってしまう、古着のフリーマーケットなんて行かない。ドキドキしてしまうアイテムを手に取って、試着していいですか、なんて聞かない。

新しいファッションに挑戦してみたくなって、今まで買ったことの無い系統の、胸に蝶が舞っているキャミソールなんて買わない。こんなの可愛すぎる。既に持っているクラシカルなワンピースに重ねたら、新しい表情が見えるだろう。何度も着て、新鮮味が無くなっていたお洋服たちが新しい顔を見せてくれてしまう。ああ、またファッションが楽しくなってしまう。無限に楽しくなってしまう…。

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私はいつでも服との出会いを求めているみたいだ。服への欲は、満たされない。満たされたら終わりだ。服との出会いは、新しい自分との出会いだから。

服への欲望を失うことは、向上心を失うことだ。上かはわからないけれど。右かもしれないし、斜め左下かもしれない。それでいい。どこでもいいから、どんな方向でもいいから、自分を押し広げて、どんどん大きくしたい。私の輪郭と、世界の輪郭とが一致するまで。

服との出会いを、新しい自分と出会って養っていくドキドキを、我慢できない。しないでいい。するもんか。