推し活とは、自分にとってお気に入りの人やキャラクター(=推し)を、さまざまな形で応援する活動のことである。
私の推し活はいつも一目惚れから始まる。
それは、ミュージックビデオのほんの一瞬の表情だったり、ラジオの些細な一言だったり、夢の中でかけてくれた一言だったり。(ちなみに夢の中で一目惚れしたエピソードを知人に話したら引かれた)
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私の推し活歴は、思い返せば10年以上前からであった。
推しはずっと同じではなく、活動の終わりなどで数年で変わる。
今は、とあるアーティストのファンで数年前から推し活をしている。
一目惚れに至った推しを思い返してみると、あまり共通点がない。タイプも違う。
そういうものなのだろうか。私は好きなタイプがブレブレなのかもしれない。
一目惚れした場面はいつまでも薄れることなく、鮮明に覚えていて月日がたった今でも思い出すとドキドキする。
なぜそこが良かったのか?なぜ目に止まったのか?と理由を聞かれても難しい。
一目惚れの瞬間は、一瞬時間が止まって、「うわ、好きだ」という感覚になる。
言葉にするのは難しい。
笑顔が素敵だったとか、目が合ったように感じてドキッとしたとか、その一言が優しかったからとかそんなもんである。
でも、不思議とその瞬間から推し活が始まるわけではない。
ふとした瞬間に、その一目惚れの場面を思い出すのだ。
一度こうなったら、なんか意識してしまう。なんか気になってしまう。
そして何度も一目惚れした場面を思い出したり、見返すのだ。
こうなったらあとは簡単。
推し活のはじまりはじまり。
色々なコンテンツを探しては楽しみ、興奮し、存在してくれることに感謝する日々を送る。
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一目惚れした場面は原点のように思う。
推し活をしていると、色々なコンテンツが提供されて毎度テンションがあがり最高を更新していくのだが、一目惚れの瞬間はランキング対象外、いわば殿堂入りなのだ。
あの目を奪われた瞬間は私の原点として、いつも宝物のように感じている。
あの日、私と会わせてくれてありがとう。
あなたを好きになるきっかけをありがとう。
あの日、大して人生のどん底にいたわけでもないのだが、私を救ってくれてありがとう。
そんな思いがこめられている。
今は活動がないために、推し活ができない推しに対してもこの気持ちは変わらない。
勘違いも甚だしいが、元カレみたいなものである。
推しのことを永遠と書いたが、実際の恋愛において一目惚れをしたことはない。
私は恋愛と推し活は同じベクトルなので、恋人に推し活のことは一切話さないし、共有もしない。
推しを恋人の前で見ることも躊躇する。恥ずかしいし、何より悪いことをしている気分になる。
同居しているので、ファンクラブの会報が届いた際はなんとも気まずい空気が流れる(多分向こうは何も思っていないと思われる)。
もし、実際に推しに会ってしまったら、2度目の一目惚れをするのだと思う。
そんな妄想の中に出てきてくれる推しに今日も感謝したい。