私は趣味で小説を書くのだが、色恋沙汰の話は高確率で主人公の一目惚れで物語が始まる。書いている最中にはそこに意図なんてまったくなくて、最近自分の過去の作品を読み返してみて気づいたことだ。あれ、私の書く話ってほとんど一目惚れから始まってんな、と自分で自分に驚いた。
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私が実際に一目惚れをした経験があれば、そこからインスピレーションを受けて無意識に作品に反映させてしまうのはわかる。しかし、私にはそんな経験ない。そもそも人を好きになったことすらない。
人を好きになったことがないから、人がどのように恋に落ちてどのように恋を実らせていくのか(あるいは散らせるのか)、よくわからない。故に私の作品は100%妄想に過ぎないのだが、それでも私が"一目惚れ"に憧れを持っているのには確かな理由があるらしい。
私の勝手な印象だが、この世のありとあらゆる恋の落ち方の中で、一番"運命"に近いのが一目惚れだと思う。私が今まで恋をしたことないのは、見た目がどストライクな人間に出会っていないというのも一理ある。故に私は一目惚れをしたことがないし、そもそも自分の見た目においての好みのタイプもわからない。ずっと好きだったアイドルさえ、ダンスが上手いとか話が面白いとか、技術や内面を好きになってハマっていった。見た目にゾッコンは経験がない。
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とある芸能人がこんなことを言っていた。奥さんのどこが好きかと聞かれて、「顔。喧嘩してもその人の顔を見たら、まぁいいか、となる。その人の顔が暗くなるのを見たくない」と。
好きな理由を聞かれて、見た目関係のことを答えると、何かとブーイングを食らったり、言われたほうは傷つくこともある。内面を好きと言われたほうが本当の自分を見てくれているようで嬉しいのもわかるが、外見こそ本当の自分じゃないかと私は思う。
猫なんていくらでも被れるし、ぶりっ子も優しさも仮初なんてのはよくある話だ。しかし外見はどうか。今や整形や脂肪吸引など見た目を綺麗にする技術が発達しているが、それは自分の見た目が更新されているだけで作り替えているわけではない。
「この人のかわいい顔を持った子どもが欲しい!」なんてクローンじみた計画でもなければ、整形も脂肪吸引も双方には何の問題もない。見た目が好き、に勝る惚気を私は知らない。
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だから私は一目惚れに執着してしまうのだろう。物語の中でヒロインがちょっとワガママを言ってしまっても「でもお前は顔が好きなんだもんな」と主人公に言い聞かせる。すると主人公は"ワガママだけどそこもかわいいなクソ"と思う羽目になり、自ら仲直りをする。ハッピーエンドが簡単に作れるわけだ。
きっとこの現象は二次元の話に留まったものではないだろう。一目惚れをした相手が、ちょっとやそっと性格がねじ曲がっていようが、一目惚れのおかげで許せるキャパが格段に大きくなる。マイナスな点も、"そこもかわいい"に変われば変わるほど、惚れたほうはまた恋に落ちていくのだ。
とかなんとか語ってみたが、一目惚れが一番難しいのだろうとも思う。70億もいる人間の中から一目惚れできる(あるいはしてくれる)人を探し当てるのは骨の折れることだ。うん、やはり内面を好きになるのが手っ取り早いな。